スピッツ 歌詞 彼女。 スピッツ・草野マサムネが絶対に作れないタイプの歌詞とは!?「俺が作るとしたら」即興作詞にファン歓喜

スピッツ「青い車」ガチ考察!意味は?草野マサムネ!本当に心中の歌?

スピッツ 歌詞 彼女

htm l 出だしからとても風景が浮かびます。 いつも笑われるような毎日を送る主人公のさえない状況と、 それを更に際立たせるための、雨や水しぶき、傘をささずに歩く情景。 ここまでのイントロと、この出だしですでに曲の世界にどっぷりに浸かっています。 そしてこの最後で出てくる「あの娘」。 この曲のヒロインであり、唯一主人公が理解者と認めている存在ということがわかります。 その彼女がちょっとわけてくれた光の粒。 あくまでちょっとだけの粒。 おそらく主人公とは恋人など深い関係ではなく、日常で自然に接するくらいの、同僚やクラスメイト程度の関係なのかなと。 「明日の窓」、ここの解釈は様々分かれると思いますが 明日=何が起こるかわからない希望的な比喩 窓=光の粒を受け取る窓口。 「あの娘」と接する貴重な時間。 といったところでしょうか。 そしてそのままサビへ 「あの娘」への想いや、「あの娘」の存在で強くなる主人公の様子が伝わる、この曲の核となる躍動的なシーンです。 html 曲の出だしでは自分に向かって降っていた雨が、ここでは「あの娘」に降っている視点に。 「あの娘」を想い、自分のためではなくあの娘の涙を忘れさせるためにこの雨あがれと祈ります。 ここから曲の表情がガラッとかわり、主人公のさえない毎日の中にいる「あの娘」の存在の大きさが伝わり、同時に、何となくで過ごしてきた毎日を抜け出すという、今までにはない強い意志が芽生えます。 「今を手に入れる」、ここで言う「今」は高揚して奮い立つ自分の感情や、あの娘への強い想いなど「生きている」ということへの実感・感触、血が通い始めたような輪郭のはっきりした時間などを凝縮した一文字ではないでしょうか。 2番のAメロ 過去の人間不信から、日に日に増す想いへの怖れや過去の呪縛に苦しむ様子が伝わります。 html 人を信じるということからしばらく離れてしまっていた主人公。 「あの娘」への想いが加速していることに怯え、あえて軽口でたぶらかしているような様子。 そして、 「嘘重ねた記憶」とは自分を偽りながら周りにあわせて生きていた過去、そこへ戻ろうとしてしまいます。 更に、 「だって」と言い訳するように人を信じることの愚かさを肯定しようとします。 でも、本当はそんな自分から抜け出せずにいる弱さこそ本当に愚かなことと気付いていて、正当化と葛藤に苛まれながら辛い毎日を過ごす主人公。 「重い扉を押し続けてた」からは、そんな情景が感じ取れます。 そして最後のサビへ クライマックス。 一番解釈の仕方が分かれる部分だと思います。 ハッピーエンドにもバッドエンドにも取れるラスト。 html 1番のAメロからと、2番のAメロからのサビの入りには明らかに違いがあります。 1番では「あの娘」への想いを疑うことなく真っ直ぐなな気持ちで、ただ2番ではまた過去の自分に戻ってしまいそうな状況からのサビへ。 考えすぎかもしれませんが、サビに入る「だから」にとても大きな意味の違いがあるように感じます。 また2番のサビでは主人公が「あの娘」との出会いを経て、強く成長した様子も感じることができます。 「寄せ集めた花抱えて」この部分はその前の 「だからこの雨あがれ~」の方にかかっているものだと思っていましたが、その後の 「名もない街で一人~」の方に繋げると意味がしっくりきます。 強い意志を持ってこれから生きていく舞台。 初めて将来に希望を持って生きていく。 そんな主人公の成長を感じられるシーンなのではないでしょうか。 最後に ここまで歌詞を細かく見てきましたが、主人公はおそらく「あの娘」へ想いを告げることはなく、また曲中最初から最後まで「あの娘」の視界に主人公が入ることもなかったのだろうと思います。 ラブソングとして捉えると悲しい歌ですが、この曲は恋の歌というより主人公の心の変化を追い、成長を綴ったドキュメンタリーのような曲です。 この曲から感じる哀愁は ・「あの娘」の幸せを遠くから願う気持ち ・「あの娘」へ決して届かない思い ・弱い自分から抜け出し成長するための苦悩 ・消えない過去の呪縛 そんな様々な要素から生まれているのだと思いました。 また「あじさい」は、雨に耐え続けながら咲くその姿から、花言葉のひとつに「辛抱強い愛情」という意味があるようです。 この点も考える余地がありそうですね。 最後までお読みいただいてありがとうございました!.

次の

スピッツ「ロビンソン」/ 歌詞の意味と解釈

スピッツ 歌詞 彼女

『ロビンソン』は"後追い自殺"の歌?川谷絵音が独自視点で解説 続いて、川谷さんはスピッツの歌詞の中では、「丸いもの」=死、「とがったもの」=性を表している傾向があると指摘。 また、スピッツの楽曲の作詞・作曲を担当している草野マサムネさんの「自分の歌詞は性と死」という言葉を引用した上で、そうしたテーマを爽やかなメロディにのせて歌い上げるところが「怖い」と、草野さんの深遠な歌詞世界を見ると恐怖すら感じるのだとか。 また、川谷さんはスピッツの「ロビンソン」のサビ前の歌詞を引用し、これは亡くなった彼女を思い浮かべて後追い自殺をしたのではと解説。 続けて、川谷さんは、だから、この歌詞の後に天国を象徴する「二人だけの国」や「空に浮かべたら」というフレーズが出てくると指摘します。 綺麗な歌詞として読むこともできれば、暗い歌詞としても読める、「どっちとも読める歌詞が書ける…草野さんって人間なのかな」と、川谷さんは見方によって曲の世界観が変わる草野さんの歌詞を絶賛しました。 スピッツ特集に反響 ネットでは放送を見た人から、「スピッツのロビンソンほどタイトルの意味も歌詞の意味もハッキリと理解できる人が居ないのに誰もが認める名曲と評価され24年間も聴かれている曲はないと思う。 」「ジャムのスピッツ特集面白いなぁ。 歌詞に闇が見えたり、別の一面が見えるの面白いよね。 答えが出てるのも好きだけど、恋愛ソングは、十人十色だから色々解釈ある方が好きだったりする」。 「すっかりスピッツ のファンになってしまった。 天才草野さんの、本当は怖い歌詞にドはまり」などのコメントが上がっています。 スピッツの歌詞については様々な見解があるかと思いますが、今回の放送を見ただけでもスピッツのファンが草野さんの歌詞にあれだけハマる理由の一端が垣間見えて興味深かったのではないでしょうか。 (文:かんだがわのぞみ).

次の

スピッツ ロビンソン 歌詞

スピッツ 歌詞 彼女

今年で30周年を迎えるスピッツは、ボーカル草野マサムネが描き出す独特の世界観が魅力のロックバンドである。 spaceshowertv. html 草野の透明なボーカルとバンドサウンドが心地よく、決して派手なバンドではないものの、確かな存在感を静かに示していると言えよう。 そんなスピッツの名曲と言えば、必ずと言っていいほど挙げられるのが「楓」であろう。 美しい旋律と切ないメロディが、一度聴いたら耳を離れない。 では、そんな「楓」の歌詞には、一体どのような意味が込められているのであろうか。 【こちらもオススメ】• 男女の別れ=死別? 「楓」は、サビの歌詞から分かるように、男女の別れを歌っている。 彼女と過ごした幸せな日々を思い出しながら、2度と叶わない再会を悲しんでいるようにも取れるな。 uta-net. 彼女のことを胸に抱えた「僕」のままで、この先どこまでやっていけるかという不安とも取れる部分である。 さて、男女の別れには死別と通常の別れがあるが、歌詞だけではどちらの別れ方をしたか確定できる要素はない。 しかし、おそらく死別ではなかろうかと考えられるのは以下の箇所である。 uta-net. そんな、自分というものを強くもたない、日々をなんとなく生きているような「僕」が、ぼんやりと思い描いていた当たり前の幸せが、ある日突然壊れてしまった、そんな儚さを思わせる部分である。 では、人と同じ幸せ=ありふれた幸せが壊される事態とは何であろうか? それは事件であったり事故であったり、はたまた病気であったりするのではなかろうか。 少なくとも、彼女や「僕」の力ではどうにでもできない、運命とも言えるべく残酷な別れであったのではなかろうかと思うのだ。 【こちらもオススメ】• 遠い日の記憶 また、「楓」の中では、彼女との過去を振り返るような歌詞も登場する。 uta-net. 彼女と過ごす時間が「僕」にとってどれだけ平穏で大切なものであったかが窺える。 uta-net. 「今じゃ懐かしい言葉」というのは、何やら愛を囁く言葉であろう。 彼女と出会うまではそんな言葉(愛)を探し続けていたが巡り会えた、しかし彼女はいなくなってしまい、その言葉を伝える相手はもういなくなってしまったから懐かしい言葉になってしまった、という解釈ができよう。 そして、「水玉の雲が散らかっていたあの日」という表現から、彼女と出会った季節が分かる。 どうやら、水玉状の雲ができるのは秋であるらしく、またタイトルになっている「楓」も秋を象徴する植物であるためだ。 彼女と出会った季節を、1つの風景として記憶しているところに、以下に大切な出会いであったかが窺える部分である。 これからも彼女を忘れることはない サビで歌われているように「君の声を抱いて歩いていく」ということから、「僕」がこれから先も、彼女を忘れることなく生きていくことが分かる。 ただし、「これから 傷つけたり 誰か 傷つけても」という歌詞から分かるように、彼女を忘れず生きていくことへの迷いや罪悪感もくみ取ることができるぞ。 これから先も生きていかなくてはならない「僕」は、よほどのことがない限り、他の女性と結婚する可能性も十分にありうるのだ。 好きな人を忘れられないからと言って、一生独身を貫くことはかなりの忍耐力を要する。 であるから、今後「僕」が違う誰かと恋をし、家庭を持っても何ら不思議ではない。 そんな時、心の隅に「君」を忘れられない「僕」が傷つけるものは、将来の妻はもちろん、その家族や自分の家族などであろう。 愛を誓いながら、自分が本当に愛しているのが今は亡き「君」であるならば、それは裏切り行為であるからだ。 だから「僕のままで どこまで 届くだろう」と歌っているのではなかろうか。 【こちらもオススメ】• uta-net. 彼女がすでに死んでいるのであれば、呼び合う名前がこだまするはずはなく、「聴こえる?」と呼びかけていることから、「僕」が彼女を追って死を選ぶのではないか?という解釈もあるぞ。 「瞬きするほど長い季節」という表現も、瞬きという一瞬と「長い季節」が矛盾していることから、すでに「僕」は死んでいて(もしくは死んでしまう)時間の流れがなくなるから長く感じるのだという考えもある。 あまりに長い時間が過ぎたので、思わず瞬きしてしまった、それほどの時が流れた、という解釈だ。 しかし、すでにいない君と名前を呼び合いこだまするというのは、やはり不気味な表現であろう。 もういない人に「聴こえる?」と呼びかけていることから、精神的な不安定さを彷彿とさせる部分でもあろう。 「楓」の持つ、死や自殺、精神面での不安定さや恋人を失った悲しみが、この曲の持つ独特の悲しさを生み出し、長年にわたり愛されるゆえんなのではなかろうか。 【こちらもオススメ】• カテゴリー•

次の