源氏 物語 北山 の 垣間見 現代 語 訳。 源氏物語「若紫・北山の垣間見・若紫との出会い(日もいと長きにつれづれなれば〜)」の現代語訳・解説 / 古文 by 走るメロス

新源氏物語 (田辺聖子)

源氏 物語 北山 の 垣間見 現代 語 訳

概要 [ ] 「」と呼ばれるによるもの、「」と呼ばれるによるもの、「円地源氏」と呼ばれるによるもの、「瀬戸内源氏」と呼ばれるによるものなどと並んで代表的な「作家による『源氏物語』の現代語訳の一つ」とされる。 「新源氏物語」と称されるものには、「狭義の新源氏物語」と「広義の新源氏物語」とが存在する。 「狭義の新源氏物語」とされるのは、『源氏物語』冒頭部分から「幻」巻部分までが現代語訳『新源氏物語』として1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から刊行され、1984年(昭和59年)5月にに収録されたものである。 「広義の新源氏物語」としては、上記の「狭義の田辺源氏」に加えて『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋の物語』として1990年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として上下2巻で出版され、1993年(平成5年)11月に、上下2巻で新潮文庫に収録された「」部分の現代語訳を含む。 1993年(平成5年)8月に新潮社から刊行された全1冊本『新源氏物語』および2004年(平成16年)に集英社から出版された『田辺聖子全集 全24巻』の第7巻および第8巻の2巻に収められた『新源氏物語』では、この「霧ふかき宇治の恋」を含めた『源氏物語』全体の現代語訳を「新源氏物語」としている。 またより広義には、狭義の『新源氏物語』と「霧ふかき宇治の恋」との間に執筆・出版された『源氏物語』の外伝的・パロディ的作品である「私本・源氏物語」シリーズや、1997年から1999年まで36回にわたって行われた田辺の『源氏物語』についての連続講演「田辺聖子の『源氏物語』をご一緒に」を書籍化したもの も含められることがある。 田辺聖子の源氏物語観 [ ] 田辺聖子は、この『新源氏物語』以外にも、『源氏物語』やそれを含む日本の古典文学に関して多くの現代語訳やエッセイなどの諸作があり、「当代随一の古典の読み手である」とされる。 その他に日本の古典文学に関して講演録や対談も数多く存在しており、それらを通して田辺の『源氏物語』観を知ることが出来る。 田辺は年を経るに従って『源氏物語』の見方が変化したことを述べており、若い頃は『源氏物語』を読み通すことも出来ず 、その頃の『源氏物語』観は「ところどころのシーンこそ、目にとまるものの、やたらに冗長で膨大な古物語としか思えなかった。 」というものであったとしている。 30を過ぎて「口語訳を読み返したことと、原典の文語文法や文体のクセに慣れたことにより、楽しめるようになってきた。 それにより、源氏物語とはさまざまな人間や恋愛の形を描いたカタログであり、面白い、楽しい物語であると感じられるようになった。 」と述べており、40代になると、光源氏を初め紫上、薫、匂宮とそれぞれに不幸であり、あきたりぬ人生を送っている。 「源氏物語とは哀しい小説ではないか」と思うようになった。 さらに50代になると、「源氏物語とは哀しみが描かれている」という点についてはそのとおりであるとしても、その地点にとどまるのではなく「哀しい話から昇華した喜び」が描かれていると感じるようになったと述べた上で、「これからの私はどのように源氏物語を読むことになるのだろうか」との言葉で締めくくっている。 このような田辺の『源氏物語』観の変遷と新源氏物語の内容とを対照させてみると、『新源氏物語』は30代の田辺の『源氏物語』観が生かされ、さらに40代の田辺の『源氏物語』観の影響の下に成立しているとされている。 出版の経緯 [ ] 『源氏物語』冒頭部分から「幻」巻までの部分は、『新源氏物語』として雑誌『』において1974年(昭和49年)11月発行の第79巻第49号から1978年(昭和53年)1月発行の第83巻第4号にかけて169回にわたって連載された後、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)にかけて全5巻で新潮社から単行本として刊行され、1984年(昭和59年)5月にに収録された。 上記に含まれない『源氏物語』第三部(及び)についても当初から含める予定であったが 、上記の『新源氏物語』とは別に『新源氏物語 霧ふかき宇治の恋の物語』として雑誌『』において1985年(昭和60年)10月発行の第2巻第10号から1987年(昭和62年)7月発行の第4巻第7号まで22回にわたって連載されたが、同号をもって同誌が休刊したために「宿木」巻の途中までで中断することとなった。 その後、残りの部分は書き下ろしで執筆されて1990年(平成2年)5月に新潮社から「新源氏物語 霧ふかき宇治の恋」として上下2巻で単行本として出版され、1993年(平成5年)11月に、上下2巻で新潮文庫に収録された。 1993年(平成5年)8月に新潮社から刊行された全1冊本『新源氏物語』および2004年(平成16年)に集英社から出版された『田辺聖子全集 全24巻』の第7巻および第8巻の2巻に収められた『新源氏物語』では、この「霧ふかき宇治の恋」を含めた『源氏物語』全体の現代語訳を「新源氏物語」としている。 特色 [ ] 田辺自身は「注釈を見ないでも読めるおもしろい読み物」を目指したとしており 、近代人の感覚では「ここがもう少し読みたい」と思うところが『源氏物語』の原典ではさらりと流されていることがあり、そのような点を非才を顧みず書き埋める作業を行った結果が「新源氏物語」であるとしている。 著者自身による作品解説において以下の3つの抱負を挙げている• 文章からを取り払うこと• 原作の説明不足を補い、現代人には冗漫と思われる記述を取り払うこと• 主人公である光源氏を魅力的な人物として描くこと 初め、出版社・編集部側としてはダイジェストのつもりだったらしいが、「源氏物語はダイジェストにしにくい」という理由で「ほぼ全訳」になったとしている。 それでも先行する作家による現代語訳である与謝野訳、谷崎訳、円地訳と比べると「原典から除去された記述」や「原典に無いが書き加えられた記述」が数多く存在しており、「訳文から原文を類推することが不可能であるほど」であるとされ、『源氏物語』の複数の現代語訳の相互比較からは外されていることもあり 、「正確な現代語訳ではない」とされたり 、翻訳よりむしろ「脚色」とでも呼ぶべきものともされたり 、「広義の現代語訳を大まかに「ダイジェスト本」・「全訳本」・「リライト本」に分けると「リライト本」に属する」とされたり 、「単なる現代語訳」ではなく「翻案」・「翻案小説」であるとされることもある。 『源氏物語』の原文には、登場人物たちが自分たちの気持ち和歌で伝えようとしている部分が数多く存在している。 先行する与謝野訳、谷崎訳、円地訳 において和歌は、• 原文の和歌のままおさめる• 原文の和歌のままおさめた上で注釈を付ける• 和歌の形を一応保ったまま中の語句を分かりやすいものに改めたり口語にするなどわかりやすくする• 五行詩など別の詩形に改める といった形で処理されることが多かったが、「田辺源氏」では和歌を通常の会話文に直しているところが多く、和歌部分に最も大きな変更が加えられている現代語訳である。 そもそも全体の構成として、「桐壺」の巻からではなく原典では第3巻である「空蝉の巻」から始まっているものの、それ以後はおおむね元の巻序に従って叙述されている。 「桐壺」の巻からはじまっているのではない理由として、田辺本人は光源氏を颯爽とした恋の狩人として登場させたかったためであるとしている。 時代背景 [ ] この「田辺源氏」は『源氏物語』現代語訳の転換点とされる。 田辺が現代語訳に取り組みはじめた時点では、すでに「与謝野源氏」や「谷崎源氏」といった複数の「作家による現代語訳」が存在しており、それ以外にもの『』本、の『』本、の『』本といった「充実した注釈が付けられた原典」も入手が容易になっているため、「与謝野源氏」や「谷崎源氏」が書かれた時代のように「その現代語訳を読むことがほとんど唯一の『源氏物語』への接近方法である」という時代とは大きく異なっている。 「田辺源氏」の巻末には「主な参考文献」として• 校注『源氏物語』〈〉刊• 、、校注・訳『源氏物語』〈〉刊• 、校注『源氏物語』〈〉刊• 訳『源氏物語』新潮社刊• 訳『源氏物語』刊• 訳『源氏物語』〈日本の古典〉刊 が挙げられている。 田辺自身は自分の『源氏物語』の現代語訳を、「私の『新源氏物語』を、入門の感じで読んでいただいて、それから『与謝野源氏』、『円地源氏』、『谷崎源氏』、『村山源氏』…など、好きな本をたどっていってね。 よくなじんだところで原文をよまれると、とても面白く読まれると思いますよ。 」と、これ以前に存在した作家による現代語訳である『与謝野源氏』、『円地源氏』、『谷崎源氏』、『村山源氏』等よりもさらに初心者向けの入門的な作品であると位置づけている。 各巻の名称 [ ] 『新源氏物語』では、それぞれの巻の名称について、以下のようにそれぞれの巻ごとに、『源氏物語』原典の巻の名を織り込んで韻を踏んだ形の独自の巻名が付けられている。 (該当巻無し)• (該当巻無し)• 眠られぬ夏の夜の空蝉の巻• 生きすだま飛ぶ闇の夕顔の巻• あけぼのの春ゆかりの紫の巻• 露しどと廃苑の末摘花の巻• 燃ゆる紅葉のもと人は舞うの巻• 花は散るおぼろ月夜の宴の巻• めぐる恋ぐるま葵まつりの頃の巻• 秋は逝き人は別るる賢木の宮の巻• ほととぎす昔恋しき花散る里の巻• 海はるか心づくしの須磨の巻• 憂くつらき夜を嘆き明石の人の巻• 侘びぬればはかなき恋に澪標の巻• 露しげき蓬生に変わらじの心の巻• 古き恋にめぐり逢坂の関屋の巻• 春の梅壺に風流をきそう絵合の巻• 久しき別れに松風のみ空を通うの巻• 入る日の峰に薄雲は喪の色の巻• 恋の夏すぎてあるかなきかの朝顔の巻• 初恋は空につれなき雲井の少女の巻• 恋のわすれがたみ日影の玉蔓の巻• 幼なうぐいすの初音惜しまじの巻• 春の夜の夢に胡蝶は舞うの巻• 恋の闇路にほのかなる蛍の巻• 常夏の夕映えに垣根なつかしき撫子の巻• (該当巻無し)• 野分の風に垣間見し美しき人の巻• 雪ちる大原野にめでたき行幸の巻• 露じめりして思いみだるる藤袴の巻• 愛怨の髪まつわる真木柱の巻• 花散りし梅が枝に残る匂いの巻• 藤のうら葉は色も褪せじの恋の巻• 君がため若菜つむ恋の悲しみの巻• 君がため若菜つむ恋のくるしみの巻• 落葉ふる柏木のん嘆きの巻• 空しき調べに夢ふかき横笛の巻• つらき世をふり捨てがたき鈴虫の巻• 山里の夕霧にとじこめし恋の巻• 露の世の別れはかなき御法の巻• 夢にも通えまぼろしの面影の巻 霧ふかき宇治の恋の物語• 光のあと花匂う若宮の巻• 移り香ゆかしき紅梅の使者の巻• 竹河に流れしわかき恋の巻• われを待つらん美しき端姫の巻• 寄る蔭むなしき椎が本の巻• 総角にむすびこめし長き契りの巻• 亡き人恋しき春の早蕨の巻• 古き恋の夢はなお宿木の巻• むぐら繁き雨の東屋の巻• いさよう波に行方知られぬ浮舟の巻• はかなく消えし恋の蜻蛉の巻• 物思う人の手習の巻• ふみまよう夢の浮橋の巻 田辺源氏の影響 [ ] 田辺の『新源氏物語』は、『』とともに以後の『源氏物語』の翻案作品に対して大きな影響を与えており、本来の原典である『源氏物語』をさしおいて「原典的地位」にあるとされる。 『新源氏物語』においては「わかりやすくするため」に田辺の解釈に基づいて、さまざまな解釈が成立しうる原典の記述が一定の解釈以外は成立しえないような記述に代えられていたり、さまざまな原典にない情報が書き加えられたりしているが、そうした要素の踏襲に田辺の『新源氏物語』からの影響が読み取れる。 『新源氏物語』は、『源氏物語』の漫画化作品の代表とされる上述の『あさきゆめみし』に対しても大きな影響を与えており、そのことは(後の明石の中宮)を「ちい姫」と呼ぶなどの人物呼称においても見ることができる。 に公開された日本映画『』には、田辺の名前はクレジットされていないにもかかわらず、『新源氏物語』の表現がそのまま使われている。 舞台化作品 [ ] 詳細は「」を参照 田辺版『新源氏物語』をもとにした のミュージカル『新源氏物語』が、の脚本・演出でに(主演)により初演された。 に月組(主演)が再演、に演出をが担当し(主演)で再々演された。 青年源氏と藤壺の密通から2人の関係を軸に、六条御息所・紫の上(若紫)・朧月夜との恋模様を絡め、政界の頂点に立ちながら女三宮に裏切られるまでの源氏の半生が描かれる。 主題歌の作詞は田辺自身による。 書誌情報 [ ] 単行本版• 『新源氏物語 1』新潮社、1978年(昭和53年)1月 空蝉から賢木まで• 『新源氏物語 2』新潮社、1979年(昭和54年)1月 花散里から薄雲まで• 『新源氏物語 3』新潮社、1979年(昭和54年)1月 朝顔から野分まで• 『新源氏物語 4』新潮社、1979年(昭和54年)1月 行幸から若菜上まで• 『新源氏物語 5』新潮社、1979年(昭和54年)1月 若菜下から幻まで• 『霧ふかき宇治の恋 新源氏物語 上』新潮社、1990年(平成2年)5月 匂宮から宿木まで• 『霧ふかき宇治の恋 新源氏物語 下』新潮社、1990年(平成2年)5月 東屋から夢浮橋まで 新潮文庫版• 『新源氏物語 上』新潮社、1984年(昭和59年)1月 空蝉から澪標まで• 『新源氏物語 中』新潮社、1984年(昭和59年)1月 蓬生から真木柱まで• 『新源氏物語 下』新潮社、1984年(昭和59年)1月 梅枝から幻まで• 『霧ふかき宇治の恋 上』新潮社、1993年(平成5年)11月 匂宮から宿木まで• 『霧ふかき宇治の恋 下』新潮社、1993年(平成5年)11月 東屋から夢浮橋まで 全1冊版• 田辺聖子『新源氏物語』新潮社、1993年(平成5年)9月 「新源氏物語」と「霧ふかき宇治の恋」が1巻に収まった愛蔵本。 田辺聖子全集版• 『田辺聖子全集 7 新源氏物語(上)』集英社、2004年(平成16年)5月 空蝉から若菜上まで• 『田辺聖子全集 8 新源氏物語(下)』集英社、2004年(平成16年)7月 若菜上から夢浮橋まで 参考文献 [ ]• 立石和弘・ 安藤徹編『源氏文化の時空』叢書・知の森 5、森話社、2005年(平成17年)4月。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 単行本版• 田辺聖子『田辺聖子の源氏がたり 1 桐壺から松風まで』新潮社、2000年(平成12年)4月• 田辺聖子『田辺聖子の源氏がたり 2 薄雲から幻まで』新潮社、2000年(平成12年)5月• 田辺聖子『田辺聖子の源氏がたり 3 宇治十帖』新潮社、2000年(平成12年)6月 新潮文庫版• 田辺聖子『源氏がたり 1 桐壺から松風まで』新潮文庫、新潮社、2002年(平成14年)12月• 田辺聖子『源氏がたり 2 薄雲から幻まで』新潮文庫、新潮社、2003年(平成15年)1月• 田辺聖子『源氏がたり 3 宇治十帖』新潮文庫、新潮社、2003年(平成15年)2月 角川文庫版• 田辺聖子『光源氏ものがたり 上』角川文庫 15835、角川書店、2009年(平成21年)8月• 田辺聖子『光源氏ものがたり 中』角川文庫 15888、角川書店、2009年(平成21年)9月• 田辺聖子『光源氏ものがたり 下』角川文庫 15942、角川書店、2009年(平成21年)10月• 田辺聖子・三田村雅子・河添房江・松井健児「座談会 源氏物語の華やぎと魅力」三田村雅子・河添房江・松井健児編『源氏研究』第7号、翰林書房、2002年(平成14年)4月、pp. 2-20。 石田百合子「解説」『新源氏物語 下』新潮社、1984年(昭和59年)1月• 田辺聖子「『源氏物語』」『新潮45』第18巻第7号(通号第207号;特集 古典の御利益)、新潮社、1999年(平成11年)7月、pp. 44-47。 田辺聖子「源氏物語と私 年々歳々の源氏」秋山虔 [ほか]編『講座源氏物語の世界 第3集 葵巻〜明石巻 』有斐閣、1981年(昭和56年)2月、pp. 324-325。 呉羽長 『富山大学教育学部紀要 A 文科系』第37号、富山大学教育学部、1989年3月 p. 57-70, :。 のち『源氏物語の受容 現代作家の場合』新典社選書10、新典社、1998年(平成10年)11月. 田辺聖子「理想を追い求める恋人たち」『波』1990年(平成2年)5月号。 のち『新潮文庫 霧ふかき宇治の恋 下』新潮社、1993年(平成5年)11月、pp. 278-386。 田辺聖子「『源氏物語』とつきあって」『波』1983年(昭和53年)12月号、新潮社。 のち『新潮文庫 新源氏物語 下』新潮社、1984年(昭和59年)1月、pp. 443-449。 田辺聖子「埋める作業」『源氏紙風船』新潮社、1981年(昭和56年)• 田辺聖子「解説」『田辺聖子全集 第7巻 新源氏物語(上)』集英社、2004年(平成16年)5月、pp. 801-811。 田辺聖子「源氏物語はおもしろい小説か」『源氏紙風船』新潮社、1981年(昭和56年)• 北村結花「いまどきの『源氏物語』--円地文子訳から瀬戸内寂聴訳へ」神戸大学国際文化学会編『国際文化学』第1号、神戸大学、1999年(平成11年)9月、pp. 175-186。 三田村雅子「現代語訳」林田孝和・植田恭代・竹内正彦・原岡文子・針本正行・吉井美弥子編『源氏物語事典』大和書房、2002年(平成14年)5月、pp. 161-162。 72-73。 立石和弘「現代語訳と加工文化」林田孝和・植田恭代・竹内正彦・原岡文子・針本正行・吉井美弥子編『源氏物語事典』大和書房、2002年(平成14年)5月、pp. 163-164。 立石和弘「『源氏物語』の現代語訳」立石和弘・ 安藤徹編『源氏文化の時空』叢書・知の森 5、森話社、2005年(平成17年)4月、pp. 100-125。 中周子「『新源氏物語』の挑戦 和歌の扱いをめぐって」大阪樟蔭女子大学国文学会編『樟蔭国文学』第46号、大阪樟蔭女子大学、2009年(平成21年)3月1日、pp. 95-103。 中周子「『源氏物語』のリライトと和歌」大阪樟蔭女子大学国文学会編『樟蔭国文学』第48号、大阪樟蔭女子大学、2011年(平成23年)3月1日、pp. 27-49。 中周子「『源氏物語』現代語訳における和歌の翻訳 : 与謝野晶子から田辺聖子へ」全国大学国語国文学編『文学・語学』第202号(近代特集 翻訳の詩学)、全国大学国語国文学会、2012年(平成24年)3月、pp. 95-106。 田辺聖子「源氏という男」『源氏紙風船』新潮社、1981年(昭和56年)• 田辺聖子「古典の森は花盛り」田辺聖子・工藤直子編『古典の森へ 田辺聖子の誘う』集英社、1988年(昭和63年)8月発行ISBN 978-4-0877-2661-9 のち集英社文庫 た 3-25、集英社、1992年(平成4年)2月• 立石和弘「『源氏物語』のコミックとキャラクタライズ」 立石和弘・ 安藤徹編『源氏文化の時空』叢書・知の森 5、森話社、2005年(平成17年)4月、pp. 188-219。 のち吉井美弥子『読む源氏物語読まれる源氏物語』森話社、2008年(平成20年)9月、pp. 373-388。 北村結花、「」『国際文化学研究 神戸大学国際文化学部紀要』 2000年11月 第14号 p. 1-19, 神戸大学国際文化学部。 立石和弘「映画化された『源氏物語』」 立石和弘・ 安藤徹編『源氏文化の時空』叢書・知の森 5、森話社、2005年(平成17年)4月、pp. 126-157。 立石和弘「歌舞伎と宝塚歌劇の『源氏物語』」 立石和弘・ 安藤徹編『源氏文化の時空』叢書・知の森 5、森話社、2005年(平成17年)4月、pp. 158-187。 (2015年9月4日掲載、2015年9月4日閲覧) 外部リンク [ ]• - (2003年2月22日アーカイブ分).

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源氏物語 「北山のかいま見」 現代語訳

源氏 物語 北山 の 垣間見 現代 語 訳

いたう=ク活用の形容詞「いたし」の連用形が音便化したもの、良い意味でも悪い意味でも程度がはなはだしい、 たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形 日もたいそう長いのに、何もすることがなく退屈なので、(光源氏は)夕暮れでひどくかすんでいるのに紛れて、 かの 小 こ 柴垣 しばがき のもとに立ち出で たまふ。 彼の(かの)=あの、例の。 「か/の」と品詞分解する 小柴垣=名詞、細い雑木の枝を編んで作った丈の低い垣根 たまふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の終止形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 どの敬語も、その敬語を実質的に使った人間からの敬意である。 例の小柴垣の所へお出かけになる。 人々は帰し 給ひて、 惟光 これみつの 朝臣 あそん とのぞき 給へ ば、 ただこの 西 にし 面 おもて に しも、 給ひ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の連用形、尊敬語。 動作の主体(帰した人)である光源氏を敬っている。 作者からの敬意。 給へ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の已然形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 西面=名詞、西向きの部屋、西の方角 しも=強意の副助詞。 訳す際にはあまり気にしなくてもよい。 (他のお供の)人々はお帰しになって、惟光の朝臣とおのぞきになると、すぐ(目の前の)西向きの部屋に、 持 じ 仏 ぶつ 据 す ゑ 奉 たてまつ りて、 行ふ尼 なり けり。 持仏=名詞、身近に置いている仏像 据ゑ(すゑ)=ワ行下二段動詞「据う」の連用形。 ワ行下二段活用の動詞は「飢う(うう)」・「植う(うう)」・「据う(すう)」の3つしかないと思ってよいので、大学受験に向けて覚えておくとよい。 奉り=補助動詞ラ行四段「奉る」の連用形、謙譲語。 動作の対象である持仏を敬っている。 作者からの敬意。 行ふ=ハ行四段動詞「行ふ」の連体形。 仏道修行をする、勤行(ごんぎょう)する なり=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 けり=詠嘆の助動詞「けり」の終止形、接続は連用形。 簾 すだれ 少し上げて、花 奉る めり。 奉る=ラ行四段動詞「奉る」の連体形、謙譲語。 差し上げる。 動作の対象である持仏を敬っている。 作者からの敬意。 めり=推定の助動詞「めり」の終止形、接続は終止形(ラ変なら連体形)。 視覚的なこと(見たこと)を根拠にする推定の助動詞である。 簾を少しまき上げて、花をお供えするようである。 中の柱 に寄り ゐて、 脇息 きょうそく の上に経を置きて、 中の柱=名詞、部屋の中央にある柱 ゐ=ワ行上一段動詞「居る(ゐる)」の連用形。 すわる。 とまる、とどまる。 脇息=名詞、ひじ掛け 部屋の中央にある柱に寄りかかって座り、脇息の上にお経を置いて いと なやましげに読みゐ たる尼君、 ただ人と 見え ず。 なやましげに=ナリ活用の形容動詞「なやましげなり」の連用形、だるそうである、気分が悪そうである たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形。 ただ人=名詞、一般の人、普通の身分の人 見え=ヤ行下二段動詞「見ゆ」の未然形。 思われる、感じられる、見える、見られる。 「ゆ」には「受身・自発・可能」の意味が含まれていたり、「見ゆ」には多くの意味がある。 ず=打消の助動詞「ず」の終止形、接続は未然形。 たいそうだるそうに(お経を)読んでいる尼君は、普通の身分の人とは思えない。 四十 よそじ あまりばかり にて、いと白う あてに やせ たれ ど、 つらつきふくらかに、 に=断定の助動詞「なり」の連用形、接続は体言・連体形 あてに=ナリ活用の形容動詞「貴なり(あてなり)」の連用形。 身分が高い、上品だ、高貴である やせ=サ行下二段動詞「痩す(やす)」の連用形 たれ=存続の助動詞「たり」の已然形、接続は連用形。 ど=逆接の接続助詞、活用語の已然形につく。 つらつき(面付き)=名詞、顔つき 四十過ぎぐらいで、たいそう色白く上品にやせているけれど、顔つきはふっくらとしていて、 まみ のほど、髪の うつくしげに そが れ たる 末も、 目見(まみ)=名詞、目元、目つき うつくしげに=ナリ活用の形容動詞「美しげなり」の連用形、かわいらしい様子である、美しい様子である そが=ガ行四段動詞「削ぐ(そぐ)」の未然形。 切り落とす、切りそろえる れ=受身の助動詞「る」の連用形、接続は未然形。 「る・らる」は受身・尊敬・自発・可能の四つの意味がある。 たる=存続の助動詞「たり」の連体形、接続は連用形 末=名詞、端、末端 目元のあたりや、髪の毛がきれいに切りそろえられている毛先も なかなか 長きよりも こよなう 今めかしきもの かなと、 あはれに見 給ふ。 中中(なかなか)=副詞、かえって、むしろ こよなう=ク活用の形容詞「こよなし」の連用形が音便化したもの、違いがはなはだしいこと、この上ない、この上なく違う。 今めかしき=シク活用の形容詞「今めかし」の連体形、現代風である かな=詠嘆の終助詞、接続は体言・連体形 あはれに=ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連用形、「あはれ」は感動したときに思わず口から出る言葉「ああ・はれ」に由来するので、「心を動かされる」といったニュアンスで使う。 文脈によって「美しい、悲しい、かわいそうである、不憫である」などと訳す。 給ふ=補助動詞ハ行四段「給ふ」の終止形、尊敬語。 動作の主体である光源氏を敬っている。 作者からの敬意 かえって長い(髪)よりもこの上なく現代風なものだなあと、しみじみと(心を動かされて)御覧になる。 続きはこちら -.

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源氏物語 「北山のかいま見」 現代語訳

源氏 物語 北山 の 垣間見 現代 語 訳

スポンサーリンク 紫式部が平安時代中期(10世紀末頃)に書いた 『源氏物語(げんじものがたり)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『源氏物語』は大勢の女性と逢瀬を重ねた貴族・光源氏を主人公に据え、平安王朝の宮廷内部における恋愛と栄華、文化、無常を情感豊かに書いた長編小説(全54帖)です。 『源氏物語』の文章は、光源氏と紫の上に仕えた女房が『問わず語り』したものを、別の若い女房が記述編纂したという建前で書かれており、日本初の本格的な女流文学でもあります。 『源氏物語』の主役である光源氏は、嵯峨源氏の正一位河原左大臣・源融(みなもとのとおる)をモデルにしたとする説が有力であり、紫式部が書いた虚構(フィクション)の長編恋愛小説ですが、その内容には一条天皇の時代の宮廷事情が改変されて反映されている可能性が指摘されます。 紫式部は一条天皇の皇后である中宮彰子(藤原道長の長女)に女房兼家庭教師として仕えたこと、『枕草子』の作者である清少納言と不仲であったらしいことが伝えられています。 参考文献 『源氏物語』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),玉上琢弥『源氏物語 全10巻』(角川ソフィア文庫),与謝野晶子『全訳・源氏物語 1~5』(角川文庫) 楽天AD [古文・原文] 藤壺の宮、悩み給ふことありて、まかで給へり。 上の、おぼつかながり、嘆ききこえ給ふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかる折だにと、心もあくがれ惑ひて、何処にも何処にも、まうで給はず、内裏にても里にても、昼はつれづれと眺め暮らして、暮るれば、王命婦(おうみょうぶ)を責め歩き給ふ。 いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞ、わびしきや。 宮も、あさましかりしを思し出づるだに、世とともの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず、心深う恥づかしげなる御もてなしなどの、なほ人に似させ給はぬを、「などか、なのめなることだにうち交じり給はざりけむ」と、つらうさへぞ思さるる。 何ごとをかは聞こえ尽くし給はむ。 くらぶの山に宿りも取らまほしげなれど、あやにくなる短夜にて、あさましう、なかなかなり。 [現代語訳] 藤壺の宮は、体調が悪くなられて、ご退出なされた。 主上(帝)が、不安に思われて、お嘆きになっていらっしゃるご様子も、とても痛々しい感じだと拝見しながらも、せめてこのような機会にと、源氏の君の魂は離れて惑い、どこにもお出かけにはならず、内裏にいても里の邸宅にいても、昼は手持ち無沙汰にぼうっと物思いに沈んで暮らし、日が暮れると、王命婦を色々と責めて歩き回られている。 王命婦がどのように手引きしたのだろうか、とても無理な状況でお逢いしている間さえ、現実とは思われないのは、辛いことである。 宮も、過去の罪深い逢瀬をお思い出しになるだけでも、生涯の間忘れることができない悩み事になっているので、せめてそれだけで終わりにしたいと深く思っておられたのに、とても情けなくて、ひどくきつそうなご様子でありながらも、優しく可愛らしい感じで、そうかといって打ち解けきってはおらず、奥ゆかしくて恥じらいのある対応の物腰などが、やはり並みの女性とは違っていらっしゃるのを、「どうして、わずかな欠点さえ少しも混じっていらっしゃらなかったのか。 」と、辛いことにさえお思いになられる。 どれだけのこと・気持ちを、話し尽くすことなどできるだろうか。 鞍馬の山に泊まりたいところなのだが、あいにくの短い夜なので、悲しい別れを迎え、かえって辛い思いをすることにもなってしまった。 楽天AD [古文・原文] 「見てもまた 逢ふ夜まれなる 夢のうちに やがて紛るる 我が身ともがな」と、むせかへり給ふさまも、さすがにいみじければ、 「世語りに 人や伝へむ たぐひなく 憂き身を覚めぬ 夢になしても」 思し乱れたるさまも、いと道理にかたじけなし。 命婦の君ぞ、御直衣(おんなおし)などは、かき集め持て来たる。 殿におはして、泣き寝に臥し暮らし給ひつ。 御文なども、例の、御覧じ入れぬよしのみあれば、常のことながらも、つらういみじう思しほれて、内裏へも参らで、二、三日籠もりおはすれば、また、「いかなるにか」と、御心動かせ給ふべかめるも、恐ろしうのみおぼえ給ふ。 [現代語訳] 「お逢いしてもまた再び逢うことは難しいでしょう、あなたと一緒に夢の中へそのまま消えてしまいたい」と、涙にひどくむせんでおられるご様子も、やはりお気の毒に思われて、 「二人の仲は世間の語り草となって、人々が語り伝えることでしょう。 この上なく辛いこの身の上が、覚めることのない夢の中のことであるとしても」 宮が思い悩まれているご様子も、まことに道理であり恐れ多いことである。 命婦の君が、源氏の君のお着物などは、取り集めて持って来た。 源氏の君は二条院のお屋敷にお帰りになられて、泣きながら寝てお暮らしになった。 お手紙なども、例によって、御覧にならないというばかりなので、いつものことながらも、ひどくつらい様子のように思われて、内裏にも参内せず、二~三日閉じ籠もっていらっしゃるので、また、「どうしたのだろうか。 」と、帝がご心配して下さっているらしいのも、恐ろしいばかりのことに思われるのである。 楽天AD [古文・原文] 宮も、なほいと心憂き身なりけりと、思し嘆くに、悩ましさもまさり給ひて、とく参り給ふべき御使、しきれど、思しも立たず。 まことに、御心地、例のやうにもおはしまさぬは、いかなるにかと、人知れず思すこともありければ、心憂く、「いかならむ」とのみ思し乱る。 暑きほどは、いとど起きも上がり給はず。 三月になり給へば、いとしるきほどにて、人びと見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世(おんすくせ)のほど、心憂し。 人は思ひ寄らぬことなれば、「この月まで、奏せさせ給はざりけること」と、驚ききこゆ。 我が御心一つには、しるう思しわくこともありけり。 [現代語訳] 藤壺宮も、やはりとても情けないわが身であったと、思い嘆いておられるので、体調の悪さもひどくなられて、早く参内するようにとの勅使が、しきりにあるのだが、参内する気持ちも固まらない。 本当に、ご気分が、いつものように良くならないのは、どうしたのだろうかと、密かに人知れず思い当たることもあったので、情けなく心配に思い、「(このまま子を産めば)どうなるのだろうか。 」とばかりお悩みになられている。 暑い頃は、ますます起き上がりもなさらない。 三ヶ月におなりになると、とてもよく妊娠の兆候が分かるようになり、女房たちも妊娠したのだと気づくにつけて、思いもかけないご宿縁のほどが、情けなく思われる。 他の女房たちは、思いもよらないことなので、「この月になるまで、帝にご奏上をされなかったこと」と、驚きになっている。 宮のご自分一人の心の中では、(妊娠の経緯について)はっきりお分かりになる節があるのであった。

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