コンコルド 777。 コンコルド777岐阜羽島駅前店|出玉データや取材・旧イベのまとめとおすすめ情報

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コンコルド 777

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コンコルド777岐阜羽島駅前店

コンコルド 777

遊戯事業• 昭和42年 5月 資本金600万円にて富士観光(株)設立• 昭和42年 5月 資本金1,200万円にて(株)セントラル設立• 昭和57年 5月 コンコルド高浜店をオープン〈愛知県高浜市神明町6-6-30〉• 昭和57年 5月 資本金1,000万円にて三栄観光(有)設立• 昭和58年 9月 コンコルド阿久比店をオープン 〈愛知県知多郡阿久比町大字大坪52-1〉• 昭和59年 5月 コンコルド碧南店をオープン〈愛知県碧南市三宅町3-11〉• 昭和61年 9月 コンコルド西尾店をオープン〈愛知県西尾市米津町種木27-1• 昭和62年 11月 コンコルド碧南駅前店をオープン〈愛知県碧南市中町5-9〉• 昭和62年 12月 ニューコンコルド西尾店をオープン 〈愛知県西尾市新在家町蓮台27-1〉• 昭和63年 6月 コンコルド吉良店をオープン 〈愛知県幡豆郡吉良町大字吉田字桐杭16-1〉• 昭和63年 12月 コンコルド知多店をオープン〈愛知県知多市清水ヶ丘2-909〉• 平成元年 12月 コンコルド吉浜店をオープン〈愛知県高浜市湯山町1-10-1〉• 平成 2年 7月 カラオケコンコルド高浜店を開業 〈愛知県高浜市神明町6-6-30〉• 平成 3年 11月 コンコルド千種店をオープン 〈愛知県名古屋市千種区内山町1-2301〉• 平成 4年 12月 コンコルド守山店をオープン 〈愛知県名古屋市守山区西島町115〉• 平成 5年 1月 カラオケコンコルド守山店を開業 〈愛知県名古屋市守山区西島町110〉• 平成 6年 8月 コンコルド西尾店を全面改装リニューアル• 平成 7年 11月 スーパー温泉・青山の湯を開業〈愛知県半田市青山2-21-8〉• 平成11年 3月 コンコルド碧南店とコンコルド碧南駅前店を統合• 平成11年 4月 コンコルド知多店を全面改装リニューアル• 平成11年 12月 スロットコンコルド240店をオープン 〈愛知県名古屋市守山区西島町110〉• 平成12年 12月 コンコルド吉浜店を全面改装リニューアル• 平成13年 1月 コンコルド千種店を全面改装リニューアル• 平成13年 3月 西尾ニューコンコルド店を一部改装リニューアル• 平成13年 11月 コンコルド碧南駅前店を全面改装リニューアル• 平成13年 12月 コンコルド西尾店を全面改装リニューアル• 平成14年 10月 資本金300万円にてシンヨウ観光(有)設立• 平成14年 12月 コンコルド800春日井店をオープン 〈愛知県春日井市神領町絲田594-1〉• 平成15年 4月 駅前食堂「わしや」をオープン 〈愛知県春日井市神領町絲田594-1〉• 平成15年 10月 資本金300万円にて(有)コンコルド1280設立• 平成15年 12月 コンコルド1280稲沢店をオープン 〈愛知県稲沢市大矢町高松11-1〉• 平成16年 8月 資本金300万円にて(有)KANI・720設立• 平成16年 12月 コンコルド720可児皐ヶ丘店をオープン 〈岐阜県可児市皐ヶ丘1-1-2〉• 平成17年 3月 資本金300万円にて(有)コンコルド羽島設立• 平成17年 6月 コンコルド777岐阜羽島駅前店をオープン 〈岐阜県羽島市舟橋町7-59〉• 平成17年 12月 コンコルド西尾店を全面改装リニューアル• 平成19年 11月 コンコルド800一宮尾西インター店をオープン 〈愛知県一宮市篭屋3-3-3〉• 平成19年 12月 コンコルド880愛西日比野駅前店をオープン 〈愛知県愛西市柚木町元屋敷曲輪329-13/愛西プラザ内〉• 平成19年 12月 青山の湯を一部改装リニューアル• 平成20年 10月 半田バッティングをオープン〈愛知県半田市昭和町2-30〉 碧南バッティングをオープン〈愛知県碧南市栄町1-16〉 中日スタジアムをオープン 〈愛知県名古屋市緑区鳴海町杜若92〉• 平成21年 4月 ダブルコンコルド1300大垣インター南店 ステージ1・ステージ2をオープン〈岐阜県大垣市浅草4-76〉• 平成21年 8月 ディスカウントコンコルド岐阜羽島インター北店をオープン 〈岐阜県羽島市舟橋町字江北西248-1〉• 平成22年 12月 MEGAコンコルド1020豊田インター店をオープン 〈愛知県豊田市深田町2-27-1〉• 平成24年 12月 MEGAコンコルド1020刈谷知立店をオープン 〈愛知県知立市上重原町花立30-1〉• 平成25年 12月 MEGAコンコルド名古屋みなと23号通り店をオープン 〈愛知県名古屋市港区遠若町2-60-8〉• 平成26年 4月 スマートコンコルド碧南店をグランドリニューアルオープン コンコルド777岐阜羽島駅前店を全面改装オープン• 平成26年 7月 メガスロットコンコルド345吉浜店を グランドリニューアルオープン• 平成26年 12月 MEGAコンコルド1177大口41号通り店をグランドオープン 〈愛知県丹羽郡大口町上小口3-203-2〉• 平成27年 10月 MEGAコンコルド1515大垣インター南店を グランドリニューアルオープン• 平成28年 8月 ディスカウントコンコルド+リニューアルオープン• 平成28年 12月 メガコンコルド1111BLAZE店をグランドオープン• 令和1年 9月 マドンナグランプリ豊川店がセントラルグループに仲間入り 不動産事業• 昭和49年 10月 サンヴィラ有楽を設立〈愛知県半田市有楽町6-80〉• 昭和51年 11月 新日本ビルを設立〈愛知県名古屋市中区大須2-27-40〉• 昭和52年 4月 第1錦スカイビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-18-14〉• 昭和53年 8月 都ビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-1720〉• 昭和54年 10月 半田第1スカイタウンビルを設立 〈愛知県半田市雁宿町1-50-5〉• 昭和54年 11月 静岡スカイタウンビルを設立〈静岡県静岡市昭和町1-1-2〉• 昭和57年 4月 第3スカイビルを設立〈愛知県名古屋市名東区東宝ヶ丘273• 昭和57年 9月 栄スカイタウンを設立〈愛知県名古屋市中区栄5-731〉• 昭和57年 10月 半田第2スカイタウンビルを設立〈愛知県半田市天王町1-47• 昭和57年 11月 第2錦スカイビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-8〉• 昭和58年 3月 第2栄スカイタウンビルを設立 〈愛知県名古屋市中区栄4-12-21〉• 昭和59年 8月 宝が丘スカイビルを設立〈愛知県名古屋市名東区宝が丘273• 平成 2年 2月 大型ショッピングセンター「Cフェスタ」及び 「フィール(旧ナフコ)・赤のれん」を設立 〈愛知県半田市青山1-1-1〉• 平成 2年 3月 名鉄ショッピングセンターを設立 〈愛知県半田市青山2-26-7〉• 平成 3年 6月 東京日本橋小網ビルを設立 〈東京都中央区日本橋小網町18-17〉• 平成 3年 6月 PIA錦ビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-7-30〉• 平成 4年 12月 レジデンス瓢箪山を設立〈愛知県名古屋市守山区西島町115• 平成 9年 8月 第6スカイタウンを設立 〈愛知県名古屋市中村区左古前町7-35〉• 平成10年 3月 第7スカイビルを設立〈愛知県名古屋市中区栄3-20-5〉• 平成10年 8月 日東錦スカイビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-9-14〉• 平成13年 10月 アネックスPIAファイブを設立 〈愛知県名古屋市中区錦3-7-29〉• 平成14年 10月 ブルームーンを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-17-28〉• 平成14年 11月 内山ビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-24-29〉• 平成16年 2月 錦シルバービルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-12-7〉• 平成16年 2月 オレンジタウンを設立〈愛知県名古屋市東区泉1-17-3〉• 平成17年 8月 第2山清ビルを設立〈愛知県名古屋市中区錦3-8-16〉• 平成20年 1月 名駅三丁目レストランタウンを設立 〈愛知県名古屋市中村区名駅3-11-17〉• 平成24年 1月 サンロード錦を設立〈愛知県名古屋市中区錦3-915〉• 平成24年 1月 名駅パシフィックスクエア名駅を設立 〈愛知県名古屋市中村区名駅4-16-33〉• 平成24年 1月 名駅三立ビルを設立〈愛知県名古屋市中村区名駅3-24-8〉• 平成25年 1月 牧野ビルを設立〈愛知県名古屋市中村区名駅3-23-19〉• 平成26年 6月 名駅3丁目1712番を取得• 平成28年 3月 名駅2丁目MKビルを設立 〈愛知県名古屋市中村区名駅2-4101〉• 平成28年 8月 名駅3丁目1708番を取得• 平成 9年 10月 ローモンドカントリー倶楽部を開業 〈三重県亀山市両尾町2570-3〉 エステ事業部• 平成24年 7月 酵素風呂HOT SPA BRANをオープン 〈愛知県名古屋市中区栄5-7-30〉 コンビニ事業部• 平成24年 12月 ミニストップ知立コンコルド店をオープン 〈愛知県知立市上重原町花立30-1〉• 平成25年 7月 ミニストップ稲沢コンコルド店をオープン 〈愛知県稲沢市大矢町高松11-1〉• 平成25年 12月 ミニストップ名古屋みなとコンコルド店をオープン 〈愛知県名古屋市港区遠若町2-59-2〉• ゆったりと発酵熱を吸収することで、全身からの発汗が得られ血行促進や新陳代謝が活性化され、老廃物の排出も促します。 継続的なご利用により、基礎体温をあげることも期待でき、免疫力を高めることができるので、ご自身のもつ自然治癒力を感じとることができるようになります。 バリエステ 神々が宿る癒しの島に古くから伝わる癒しの技法を BRAN内サロン「JAMUrahasia」では、世界三大医学のひとつ、インドの「アーユルベーダ」を源流にし、ヨーロッパのマッサージ技法、バリのアロマテラピーが融合したバリエステをお楽しみいただけます。

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コンコルド656西尾店

コンコルド 777

コンコルドのプロトタイプ機 のとのなどが共同で開発した。 初飛行は。 原型(プロトタイプ)および量産先行型を含め、計20機が製造された。 高度5万5,000から6万フィートという、通常の旅客機の飛行高度の2倍もの高度()を2. 2で飛行した。 定期国際運航路線に就航した唯一の超音速民間旅客機でもあった。 2020年現在、がニューヨーク・ロンドン間をジェット気流に乗り4時間56分で飛ぶ記録を有するが 、コンコルドは2時間52分59秒で同区間を飛行した。 開発当時は世界各国のから発注があったものの、などのや、開発の遅滞やそれに伴う価格の高騰、また大量輸送と低コスト化の流れを受けてその多くがキャンセルとなった。 最終的にはと、を継いだの2社のみによる運行に留まる。 に発生した、に発生したにより、低迷していた航空需要下での収益性改善が望めなくなったことで、にエールフランス、同年にブリティッシュ・エアウェイズが営業飛行を終了、2003年の着陸をもって全機が退役した。 超音速飛行を追求した美しいデザインや数少ない超音速旅客機だったこともあり、現在でも根強い人気がある。 歴史 [ ] 開発 [ ] ヒースロー国際空港をタクシングするコンコルドのプロトタイプ機(1972年) 後半のやなどの大型ジェット旅客機の就航に次いで、各国が超音速旅客機開発競争にしのぎを削る中、イギリスは、フランスはなどの超音速旅客機の研究を独自に行っていた。 しかし開発予算の削減や営業上の競合を避けることから、英仏両国はそれまで独自に行っていた開発を共同で行う方針に転換し、に両国間で協定書が締結された。 イギリスからはBAC、フランスからはが開発に参加した。 開発の主導権や名称などについて2国間での対立はあったものの、その後開発が進み、や、や、やなど世界各国のフラッグ・キャリアから100機を超える注文が舞い込み、にはフランスので原型機が公開された。 3月2日に原型機が初飛行に成功、同年10月1日には音速の壁を突破した。 同時にでも超音速旅客機の開発が行われ、や、などによる提案が行われた結果、より高速、大型で可変翼を備えたの開発が進んでおり、同じくパンアメリカン航空や日本航空などからの注文を受けていたが、その後開発がキャンセルされた。 またでも、同国初の超音速旅客機であるの開発が行われ、に初飛行し、には量産型が初飛行したが、以外に発注する航空会社はなかった。 に入ると、プロトタイプ機が発注を受けたやアメリカ合衆国、をはじめとする世界各国の主要空港をテストを兼ねて飛行したが、その後やによる燃料費高騰などを受けて、多くの航空会社が発注をキャンセルした。 なお、テスト飛行を重ねた結果、テールコーンや超音速飛行時のコックピット部分のなどの形状変更などの改良がなされている。 就航 [ ] から定期的な運航を開始し、この日には--線に、は-線に就航させ、間もなく他の路線にも就航させた。 定期運航路線 [ ] エールフランス [ ]• パリ-- ブリティッシュ・エアウェイズ [ ]• ロンドン-• ロンドン-• ロンドン--(バーレーンからはとの共同運航)• ロンドン-ワシントンD. -ダラス・フォートワース(ワシントンD. からはとの共同運航)• 客室内部 エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズのわずか2社により、十数機が限られた路線に使用されていたのみだが、高い人気を博したため、2社ともに両社のイメージリーダー兼として各種広告に使用した。 両社ともに1クラスのみの設定とされたが、在来機種のファーストクラスの上のクラスと位置付けられた。 就航先のパリやロンドン、ニューヨークの空港内に専用のラウンジとゲートを備えたほか、これらの空港では、関係当局の協力を受けて発着時に最優先権を与えられた。 またコンコルド専用の資格を持ったによる、コンコルド専用の機内食メニューや飲み物の提供、コンコルドの乗客専用の各種ギブアウェイや機内販売品の提供など、他の機種にはない特別なサービスが提供された。 さらに高い人気を受けて、後半には、に入っても継続使用できるように最新のアビオニクスの導入や個人テレビの装着をはじめとする様々な近代化改修を行うことも検討された。 商業的失敗 [ ] アメリカ合衆国テキサス州訪問にブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドを使用したイギリスの女王と夫妻(1991年5月20日) 一時は上記のとおり世界中から受注したもののキャンセルが相次ぎ、最終的に量産機は英仏の航空会社向けに僅か16機が製造されたに過ぎず、に製造中止が決定された。 開発当時は「250機で採算ラインに乗る」ともいわれたが、その採算ラインを大幅に下回る製造数となった。 キャンセルされた、または不人気だった理由には以下のようなものがある。 通常よりも長い滑走距離を必要とすること、またその騒音およびの影響を避けるために航路や乗り入れ先を選ぶコンコルドは、限られたに就航できたにすぎなかった。 さらに「ソニックブームを発生させるため」との理由でをはじめとするいくつかの国では、超音速飛行を海上でしか認めなかった。 また、のへの離着陸が認められるまでにも、環境保護団体との裁判による決着を要した。 飛行距離が短いことに加えて上記の諸事情から、は飛び越せても途中給油無しではを越えられず、西ヨーロッパやアメリカ本土からやなどへの無着陸直行便という、当時需要が伸びていた路線への就航ができなかった。 経済的にも収益が上がらない上、による価格の高騰がこれに拍車をかけた。 による飛行が、エグゼクティブ層向けから運賃が安くなることで大衆化するにつれ、航空業界はのように低コストでかつ大量輸送が可能な機体を重視するようになった。 なおボーイング747は、コンコルドやボーイング2707の就航後は貨物機に改修されたり、団体客用の専用機になることが予想されていた。 これらの理由により、最終的にエールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの2社のみによる運行にとどまった上、後半以降は、競争が激しいロンドン発バーレーン経由のシンガポール線や、亜音速機による無着陸飛行が可能なパリ発のダカール経由のリオデジャネイロ線が運休し、需要と収益性が高い大西洋横断路線への定期運行に集約された。 これらの定期便は、飛行時間短縮を望む裕福な顧客を中心に利用されたほか、余剰機材も団体客向けのチャーター便や、英仏両国のとしてチャーターされた。 墜落事故 [ ] からブリストルへのコンコルドの最終飛行(2003年11月26日) しかし、超音速飛行を行うために燃費が悪く、コストも亜音速機に比べて高く、初就航から25年経ったこともありが必要なコックピットなど、旧式のシステムであるコンコルドの運航はコストがかかり、直前のに就航先のニューヨークで発生したで低迷していた航空需要下では収益性の改善は望み薄となった。 この為運航の継続が議論された。 、ブリティッシュ・エアウェイズとエールフランスは同年10月をもってコンコルドの商用運航を停止することを発表した。 エールフランス機は5月、ブリティッシュ・エアウェイズ機もに最後の営業飛行を終え、後継機もなく超音速旅客機は姿を消した。 一時はが、普段から貶しているライバルでもあるブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドを「1機1ポンドで買い取る」と表明した。 ヴァージン・アトランティック航空はコンコルドを買い取る事に熱心だった模様で、グッズとしてヴァージン・アトランティック航空カラーリングのコンコルド模型を限定販売していた。 しかし、これまでに莫大なコストをかけてコンコルドの運航とメンテナンスを行っていたブリティッシュ・エアウェイズは、この申し出を拒絶した。 英仏両国で就役していたコンコルド各機は、イギリスやフランス、アメリカをはじめとする世界各地の航空関連博物館に売却、寄贈され、往時の姿を示している。 名称 [ ] 「コンコルド」という名称は、の「concorde」との「concord」、両単語とも「協調」や「調和」を意味し、のに由来している。 しかしフランス側の強い希望により、フランス語式の最後に eの付く「 concorde」表記が、のみならず英語にもおける両言語共通の正式スペリングとなった。 ただし、英語圏での発音は、フランス語式の「concorde(コンコルド)」よりはむしろ、英語の「concord(コンコード)」の読みに近い。 なお、フランス語のconcordeは「調和」の意味では女性名詞だが、この航空機の意味では男性名詞である。 技術 [ ] 胴体側面 非常に小さい窓が並ぶ を実用化した世界初の航空機である。 主翼後縁の左右合計6枚のと上下分割式の2枚のの、合計8枚の操縦翼面のコントロールはコックピットからの電気信号により制御されている。 トリム制御用の燃料移送システムを備えた。 超音速への加速時や超音速からの減速時には中心の位置が変動する。 このとき操縦翼面によってトリム制御を行うと空気抵抗を増加させてしまうため、コンコルドでは必要に応じて燃料を前部または後部のタンクに移送することで揚力中心に応じた機体の位置を制御した。 このシステムにより、空気抵抗を増加させることなくトリム調節を可能にした。 コンコルドは超音速飛行での空気抵抗を小さくするために細長い機首を備えているが、これは離着陸時のパイロットの前下方視界を遮ってしまう。 特に着陸時には、がないことをカバーするため機首を大きく上に向けながら進入する。 そのため着陸時には12. 5度、離陸時には5度、機首が下方に折れ曲がるドループ・ノーズを採用した。 これに加えが折れた機首内に格納され、パイロットの視界を確保する。 試作機では17度下方に折れ曲がるようにされたが、これはパイロットを不安にさせた。 から前に何も見えないので、は断崖絶壁に立たされているような感覚を持ったという。 そのため、12. 5度に修正された。 また緊急時用に減速用の(ドラッグシュート)も備えられた。 なお、大きな迎え角は通常で考えると乗客にとっての乗り心地が悪い様に誤解されるが、実際に搭乗すると加速度があるため迎え角はあまり感じない。 付き593 Mk610と可変空気取り入れ口制御システムを採用した。 アフターバーナーは離陸時と超音速への加速時に使用したが、超音速巡航時には使用しなかった。 なお「アフターバーナー」という名称は、のであり、コンコルド用の593エンジンを製造したは「リヒート」と呼んでいた。 さらに熱による機体の膨張により、20cmほど全長が伸びる。 また、客席は程度のピッチのものが横4列に並び、合計100席が設けられていた。 なお機体と窓のが異なるため、前述の高温から窓を大きくできず、その実効面積は程度の大きさである。 マッハ2を超えた場合、機内側の窓も継続的に触るのが困難なほど加熱された。 下面から見たコンコルド 寸法 [ ]• 全長:61. 66 m• 全幅:25. 55 m• 高さ:12. 19 m• 機体幅:2. 88 m• 主翼面積:358. 2 エンジン [ ]• ・ リヒート付きターボジェット4基 重量 [ ]• :186,070 kg• :111,130 kg 飛行性能 [ ]• 巡航速度: 2. 最大航続距離:7,229 km• 座席数:100席 スーパーソニッククラス(予約クラスコード - R) 座席は通路の両側に2席づつ計25列で100席の構成。 化粧室もついていたが非常に狭かった。 この予約クラスはコンコルドの運航が停止された後、しばらくどの航空会社でも前面に押し出して利用することはなかったが、以前ブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドを共同運航していたシンガポール航空が、を導入した際に新規導入したクラス「シンガポール航空スイート」の予約クラスとして利用している。 製造機材一覧 [ ] 参考 製造番号 製造型式 機体登録記号 使用用途 航空会社 初飛行 履歴 現状 001 プロトタイプ F-WTSS 原型1号機 1969年3月2日 に使用 フランス 内 展示 002 プロトタイプ G-BSST 原型2号機 1969年4月9日 イギリス製造初号機 イングランド ヨービルトン航空博物館 展示 01 Series100 G-AXDN 量産先行型1号機 1971年12月17日 1974年に最高速度Mach2. 23を記録 1977年に引退後回航時、最短着陸距離1800m以下で成功 イングランド ダックスフォード航空博物館 展示 02 Series100 F-WTSA 量産先行型2号機 1973年1月10日 1973年初訪米時の帰路ワシントン-パリ間で3時間33分を記録 フランス パリ 展示 201 Series100 F-WTSB 量産型1号機 1973年12月6日 フランス 内博物館 展示 202 Series100 G-BBDG 量産型2号機 1974年2月13日 イングランド 博物館 シミュレーターと併設展示 203 Series101 F-BTSC ex. F-WJAM 量産型13号機 1978年6月26日 一時米ブラニフ航空にリース N94SD 1996年に2週間限定でペプシコーラアドカラーに塗装 フランス ル・ブルジェ空港内航空宇宙博物館 展示 214 Series102 G-BOAG ex. G-BFKW 量産型14号機 1978年4月21日 アメリカ シアトル 航空博物館 展示 215 Series101 F-BVFF ex. F-WJAN 量産型15号機 1978年12月26日 フランス シャルル・ド・ゴール空港 展示 216 Series102 G-BOAF ex. G-BFKX 量産型16号機 1979年4月20日 最終製造機 イングランド フィルトン空港内博物館 展示• に飛来したのコンコルド(1994年9月5日) で唯一国際線を運航していたフラッグキャリアのも国際線向けに3機の導入を計画し、に仮発注を行った。 就航時を想定した2種類の塗装案も作成されてマスメディアに公開され、各種記念品も製作されるなど大々的な広報、広告活動が行われた。 白地の胴体に赤と青のライン、尾翼には鶴丸マークという当時の日本航空旅客機の標準塗色に仕上げられたこの模型はに完成して日本航空に納入された。 なお同社はその後他の大手航空会社と同様にコンコルドの導入をキャンセルした。 大型模型は同社よりの旧に寄贈されて長らく展示された(右の写真参照)。 交通博物館閉館後はに移管され、現在は2階のコレクションルームに保存されている。 にはにもデモンストレーションのため飛来し、午前10時15分に羽田空港へ到着した時には約5,000名が見物に訪れた。 日本航空が多くの航空会社と同様に発注をキャンセルした上に、大陸間横断のような長距離飛行が不可能だったこともあり、エールフランスとブリティッシュ・エアウェイズの両社ともに日本への定期路線に就航させることはなかったが、その後も数回にわたりエールフランスのコンコルドが日本国内へ飛来した。 には日本で初めての開催となるに出席するフランスの大統領の搭乗機として羽田空港に飛来した。 またには「」のイベント(チャーター便)としてに飛来したほか、には開港翌日のに飛来した。 日本へ来たのは以下の5回で、デモフライトと、エールフランスの運航によるものである。 1972年6月12日-6月15日 へデモフライト(登録記号:G-BSST)• 1986年5月4日-5月7日 羽田空港 東京サミット エールフランスによるフランス大統領特別機として2機が来訪(登録記号:F-BVFAとF-BVFB)• 1989年2月23日-2月25日 羽田空港 エールフランスによるのへのフランス大統領特別機(登録記号:F-BVFC)• 1990年9月2日-9月3日 エールフランスによるチャーター便(登録記号:F-BVFF)• 1994年9月5日 エールフランスによるチャーター便(登録記号:F-BVFC)で開港記念によるメモリアルフライトである。 関西空港展望ホールにはコンコルドの名を冠したレストランがある。 はコンコルドの導入はキャンセルしたが、にの開発を行うと資本提携し、20機の優先発注権を確保する予定があると発表した。 その他 [ ] 超音速飛行中にラダーが破損したブリティッシュ・エアウェイズのコンコルド(1989年)• 、イギリス政府がソ連外交官ら105人をスパイ容疑で国外追放した。 このスパイ網はコンコルドの開発を妨害し就航を遅らせようとしたものであったという。 に、からに向けて飛行中のブリティッシュ・エアウェイズのコンコルドのが破損したものの、無事にに到着した。 ブリティッシュ・エアウェイズはヒースロー空港ターミナル5とジョン・F・ケネディ国際空港にコンコルド搭乗客専用の『コンコルド・ルーム』を用意していた。 現在は専用ラウンジとして利用されている。 フランスの研究チームがの調査のため、001号機に観測窓などを追加した改造機を使用した。 その際、添乗した科学調査団が機内から「のようなもの」を撮影、のテレビ放送でその写真が公開されたことがある。 、共同作曲の『夢の飛行(コンコルド)』という、コンコルドをテーマにした楽曲がある。 フランク・プゥルセル・グランド・オーケストラの演奏によるこの曲では、効果音としてエンジン音(左右方向に飛び去る音)が使われており、曲自体もこのエンジン音から始まる。 映画「」で、主役のが操縦するなど主役級の座を得ている。 映画「」で演じるフォークナーがに到着する際の乗機として登場する。 映画「」で演じるがに到着する際の乗機として登場する。 単に速度の速いものや性能が高いがあまりにもコストも高く採算性の取れないもの、つまり コストの回収 のできないものや、失敗することを予測しつつも、を無駄にしたくないという心理から、計画を中止できずに更に失敗を重ねてしまう様子などに対して、比喩的にコンコルドが使われることがある。 を参照。 当時のコンコルド関係者からなる「Club Concorde」が、までにコンコルドを復活させるというプロジェクトを行っているが、計画は難航している模様。 かつてはロンドン・ヒースロー空港の隣を走る道路の脇にも、コンコルドの大型模型が展示されていたものの、現在、その模型があった場所はのエアバスA380の模型に入れ替えられてしまい、コンコルドの模型は見られなくなった。 cnn. htmlによると大型低気圧シアラの暴風に乗って記録を更新した。 Reuters News Service 1996年2月9日. St Louis Post. 2011年6月30日閲覧。 HeraldNet. com 2019年3月4日. 2019年5月19日閲覧。 「世界のエアライン」1979年 ブリティッシュ・エアウェイズ広告(表4)• CNN 2018年9月17日. 2018年10月8日閲覧。 朝日新聞. 1971年9月27日• 朝日新聞: p. 1971年9月26日• - ブリティッシュ・エアウェイズ• 『コズモ別冊UFO写真集1』コズモ出版社、1974年10月20日発行(58-59ページ)。 ORTFの放送画面を撮った掲載写真は当時の-サンテレフォート提供のもの。 参考文献 [ ]• 遠藤欽作『コンコルド: SST 超音速旅客機 航空輸送時代の革命』航空新聞社、1972年。 Wolfgang Tillmans『Concorde (写真集)』。 『超音速旅客機CONCORDE(AIRLINE旅客機形式シリーズ・スペシャル』。 ブライアン・トラブショー『コンコルド・プロジェクト~栄光と悲劇の怪鳥を支えた男たち』小路浩史訳、、2001年。 関連項目 [ ]• 航空会社• (British Airways)• (Air France)• (運航はBAが行っていた)• 機体構造• その他• - 日本のプロゴルファー。 1983年には日本人で初めてで優勝を果たすなど、日本を代表する名ゴルファーの一人である。 ライバルのニックネーム「尾崎」に比して「青木」と讃えられた。 - 元プロ野球選手。 ゴロやライナーの打球が鋭く速いことをコンコルドに例えられた。 - 元大相撲幕内力士。 長身をコンコルドに例えられた。 - 競走馬。 馬名の由来はだが、ダービーを勝った時のスポーツ紙での見出し等で本機にちなみ「音速の末脚」と表現されたことが多かった。 - かつて使用されたコンコルドの機体が、今もなお保管されている。 - で同時期に開発された超音速旅客機。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (英語)• (フランス語) この項目は、に関連した です。

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