松田聖子 嫌い。 松田聖子

聖子ファン的「ゾンビランドサガ」考察~紺野純子が松田聖子をモデルにしていると考える9つの理由

松田聖子 嫌い

19日に22歳の誕生日を迎えた女優・広瀬すずが嫌われている。 昨年、NHK連続テレビ小説「なつぞら」でヒロインを務め、目覚ましい活躍を見せているが、同日に文春オンラインが発表した「2020 嫌いな女優」アンケートで2位になった。 なぜ広瀬はこうも嫌われるのか。 広瀬は2015年にバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)で、「どうして大人になった時に照明さんになろうと思ったのだろう」と制作スタッフの仕事を軽んじるような発言をして炎上した。 過去の失言が今も尾をひいているとの見方もあるが、あれから5年が経過している。 芸能評論家の佐々木博之氏がこう言う。 一般女性がいくらメークしてもあの整った顔にはなれないし、広瀬さんも自分の美しさを自覚しているがゆえの天真爛漫さがあります。 『照明さんになる意味が分からない発言』に悪意がないことは誰もが分かっているのに、ここぞとばかりに叩く人たちは彼女に嫉妬しているのだと思います。 今年3月に「めざましテレビ」(フジ系)に出演した時に、主演映画「一度死んでみた」に出てくる「若返りの薬」が欲しいか聞かれて「必要ない」と返答。 むしろ逆に「10歳くらいパッと年を取れる薬が欲しいです」と答えたことに主婦たちが敵意を燃やした。 「広瀬さんは『30から35歳くらいが一番モテるよ、女は』と言われたことがあり、それが楽しみだと説明しようとしただけでした。 ところがネット上には〈若いからそんなこと言えるんだよ!〉と過剰反応する人がいました」(スポーツ紙記者) 前出の佐々木博之氏がこう言う。 病んでいたり、シリアスな役柄にも挑戦してもらいたいですね」 広瀬は「好きな女優」でも8位にランクイン。 アンチを巻き込みながら成長しつつある。

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松田聖子のホロスコープを読む

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昨年、NHK連続テレビ小説「なつぞら」でヒロインを務め、目覚ましい活躍を見せているが、同日に文春オンラインが発表した「2020 嫌いな女優」アンケートで2位になった。 なぜ広瀬はこうも嫌われるのか。 広瀬は2015年にバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」(フジテレビ系)で、「どうして大人になった時に照明さんになろうと思ったのだろう」と制作スタッフの仕事を軽んじるような発言をして炎上した。 過去の失言が今も尾をひいているとの見方もあるが、あれから5年が経過している。 芸能評論家の佐々木博之氏がこう言う。 一般女性がいくらメークしてもあの整った顔にはなれないし、広瀬さんも自分の美しさを自覚しているがゆえの天真爛漫さがあります。 『照明さんになる意味が分からない発言』に悪意がないことは誰もが分かっているのに、ここぞとばかりに叩く人たちは彼女に嫉妬しているのだと思います。 今年3月に「めざましテレビ」(フジ系)に出演した時に、主演映画「一度死んでみた」に出てくる「若返りの薬」が欲しいか聞かれて「必要ない」と返答。 むしろ逆に「10歳くらいパッと年を取れる薬が欲しいです」と答えたことに主婦たちが敵意を燃やした。 「広瀬さんは『30から35歳くらいが一番モテるよ、女は』と言われたことがあり、それが楽しみだと説明しようとしただけでした。 ところがネット上には〈若いからそんなこと言えるんだよ!〉と過剰反応する人がいました」(スポーツ紙記者) 前出の佐々木博之氏がこう言う。 病んでいたり、シリアスな役柄にも挑戦してもらいたいですね」 広瀬は「好きな女優」でも8位にランクイン。 アンチを巻き込みながら成長しつつある。 29 ID:pvZ4EVYS0 大石さんちの娘さん、あまり良い話を聞かないな。 77 ID:WlcxcNVP0 学校のドラマで毎回叫んでる声聞いてたらうるさくて嫌いになった。

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初期・松田聖子は爆発的声量で叫び、吠えた。

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を代表するである。 娘は女優の(元・のとの)。 所属事務所はfelicia club(フェリシアクラブ)。 身長160cm、体重42kg(身長、体重は公式サイト2008年12月25日のデータより)。 概説・評価 [ ] を代表するアイドルが引退する年の4月に、「」でレコードデビュー。 その伸びのある歌声で注目され、その後のシングルも大ヒットしを代表するとして活躍した。 「 」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿も人気となり、トレードマークであったヘアスタイルの「」は当時、全国の若い女性の間で大流行し模倣した髪型が街中に溢れかえった。 芸能界が「百恵引退後のアイドル像」を模索する中で、聖子は「実人生とアイドル像を限りなく一致させる」という百恵の方針とは正反対の、「白いドレスを着飾ったアイドルの原点」を演じるという方向性をとり、実際に衣装や容姿の点で自身の主張を通していた(「聖子ちゃんカット」と呼ばれるヘアスタイルも聖子自身が決めたものである)。 聖子のアイドル像は、百恵が徹底した「脱アイドル」以前にあった「アイドルの原点」を演じることにあり、これが若者の支持を集めたのではないか、とされている。 1980年10月に百恵が引退した時点で、聖子はデビュー半年で「ポスト山口百恵」の筆頭として認知されるに至っていた。 容姿だけではなく、その歌唱の表現力でも1980年代のアイドル歌手としては突出したものを持っていたとする但馬オサムの評価があり、歌の下手なアイドルでも通用した「可愛い子ちゃん歌手」の時代からの転換を象徴していた。 アイドルとしては比較的大きな声量が特徴的であったが、初期の聖子の楽曲の作詞を手掛けたは、最初に歌声を聴いた時を振り返り「いくらでも声が出るんで驚きました。 マイクなんかいらないくらい」とコメントしている。 そして、歌唱法としては同じく初期の楽曲の作曲を手掛けたの歌い方をまねており(当初は小田から直接レッスンを受けていた)、三浦は「母音をしゃくりあげるような歌い方」と表現している。 聖子を発掘したの・若松宗雄は、聖子の魅力について第一に声質を挙げ、透明感と強さ、その中に娯楽性とある種の知性を感じたと語っている。 絶頂期は多忙なスケジュールから曲のレッスンを受ける時間は無く、レコーディングの当日に楽曲を聞いて即収録に挑んでいた。 プロデューサーからもとにかく勘が良いと言われており、2、3回を聞いただけで曲調を覚えて歌えるようになっていたという。 楽曲のチャート記録としては、1980年の3枚目のシングル「」からの26枚目のシングル「」まで24曲連続で(週間)1位を獲得。 その間、私生活では交際していたとの破局。 その後すぐに6月に俳優のと結婚し、翌1986年10月に長女・を出産するなどしたが、妊娠休業前と変わらずアイドル歌手としてヒットを続けたため、「 ママドル」という呼称も生まれた。 曲調は、デビュー初期の曲は、三浦徳子の作詞、小田裕一郎の作曲が主だった。 楽曲の制作には6枚目のシングル「」以降、作詞にが起用され(19枚目のシングル「」まで)、作曲家の選択も含め松本隆のプロデュース色が濃くなり、編曲は2枚目のシングル「」からのが主体であった。 80年代の作曲家は、(「呉田軽穂」名義で)をはじめ、など系の作家が多かった、聖子の代表曲である「赤いスイートピー」が松任谷由実の初めて手掛けた曲であることはあまり知られていない。 ちなみに編曲は松任谷正隆である。 やは、海外進出にチャレンジした時期もありヒットした曲もあった。 しかし国内でのバッシングもあり海外進出を途中で断念した。 90年代以降は、作詞、作曲やアルバムのプロデュースにも聖子自ら取り組むようにもなり、としての活動を展開していった。 作詞、作曲に関してはアイドル時代から時々参加し、アルバム『』では「小さなラブソング」を作詞、アルバム『』で同名曲を作曲したのをはじめ、「とんがり屋根の花屋さん」(アルバム『』)、「時間旅行」(アルバム『』)「シェルブールは霧雨」」(アルバム『』)などの曲を作曲していた。 そして自身が作詞し、作曲をと共作した発表の「」は、オリコンチャートで自身シングル初の(100万枚突破)を記録し最大のヒット曲(2016年現在)となった。 そして、デビューから35年以上が過ぎ、様々なバッシングにあいながらも、なお「アイドル」と呼ばれ、に渉るその活動に敬意を表して「永遠のアイドル」と称されることもあり、『』や『』その他の雑誌、TVなどのメディアにおいて「生き方に憧れる女性有名人」「輝いている女性有名人」「スターだと思う有名人」「永遠のアイドルだと思う有名人」などの好感度では常に上位にランクインした。 4月9日、「松田聖子的生き方」とそれに共感する同世代の女性たちに焦点を当てたドキュメンタリー番組、『松田聖子 女性の時代の物語』が放送され、放送後も『』の(4月15日付)にもその話題が取り上げられた。 創設以来の人名索引総合ランキングでは「松田聖子」が1位(2月)となっており、2位のらを抑えて「日本のにもっとも頻繁に登場した著名人」とされている。 経歴 [ ] 生い立ち [ ] 、(当時の)に、同県出身でに勤める()の父親と、同県の出身の母親の長女として、母親の姉が院長夫人だった高良台病院で生まれた。 難産で生まれた時には仮死状態であった。 出生名・蒲池法子(かまちのりこ)。 生家はの城主だった第16代目(蒲池宗雪)の三男・の子孫であり、は格だった。 は以来の「左三巴」。 8歳上の兄がいる。 幼少期太っていた法子は、「ブタまんじゅう」と呼ばれてからかわれていた。 卒業後、に入学しテニス部に所属。 家と同校が隣接しているため、油断して遅刻の常習者となった(のち1997年には、同校創立50周年記念に正門を寄贈した)。 中学時代はかになりたいと思っていた。 母親は二重まぶたのはっきりした目なのに、自分は一重まぶただったため、母親の目が羨ましかったという。 ジャンパースカートとボレロの制服に憧れ、父親も娘を淑やかなお嬢さんに育てたいという方針でこの高校に決まった。 研究部に入部し、の勉強に勤しむ。 行事の度に皆の前で聖書を読む「女神」という役職(各学年で1人ずつ)に選出される。 大ファンののコンサートが福岡で行われる度に観に行き、歌手に憧れるようになる。 高校入学まもない春、福岡開催の新人歌手オーディションに応募し、の「」を歌うが二次審査で落選。 8月には第二回九州大会にも応募するが書類選考の第一次審査で落選。 この時一緒に応募した友人は一次審査に合格したものの大会直前に扁桃腺手術をして歌えなくなったため、法子(聖子)がフォロー役で急遽の曲でコンビを組み出場した。 2人は最終審査の5組に残ったが優勝できなかった。 高校2年となる、と『』が主催する『』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を録音したテープを送り予選合格。 歌手になりたいという動機以外の応募理由には、優勝特典が「アメリカ西海岸のにご招待」で、「大好きなに会える」ということと、全国大会のゲスト審査員が憧れのであったことである。 そして4月にで行われた九州地区大会で優勝。 しかし、両親には内緒で応募していたため、コンテスト当日は「大好きな歌手に会いに行く」と嘘をつき母親に会場の福岡市民会館まで送ってもらった。 母親は聖子と別れて買い物に行くが、買い物を終えて会場に入ってみると聖子がステージ上で歌っていた。 九州地区大会で優勝し全国大会への切符をつかんだものの、公務員で厳格な父親の承諾を得られず全国大会は辞退するが、九州地区で優勝した法子の歌声を聴いたCBSソニー制作部・若松宗雄は「この子は絶対に売れる」と確信し、法子をプロデビューさせようとスカウトする。 若松は聖子の歌声を初めて聴いた時のショックを「まるで夏の終わりの嵐が過ぎたあと、どこまでも突き抜けた晴れやかな青空を見た時のような衝撃でした」と語っている。 法子の芸能界入りは、学校の規則や父親の反対により既に断念されていたが、諦めきれなかった若松は久留米の実家まで足を運び法子の両親に直談判するが、それでも父親を説得することはできなかった(そのため聖子のデビューは当時のアイドルとしてはやや遅い年齢となる)。 そんな中、法子は若松の紹介で東京音楽学院九州校(系列)に通う。 渡辺プロの九州支部長の説得により父親がやっと承諾するが、東京の渡辺プロ本社は、送られたデモテープをあまり重視せず、「この娘は、ガニ股である。 ガニ股はテレビ映りがよくない。 舞台でも問題がある」との理由で、スタイルの悪いO脚の法子の写真を見て不採用とした。 若松は面倒見の良い相澤の事務所に預けたかったという。 法子がサンミュージックの面接を受けに福岡からした時は、丁度出張で出向くということもあり父親が一緒に付き添って行った。 5日ほど滞在して父親が帰郷する日、聖子は寂しさのあまり泣きだしてしまい、見かねた父親が「そんなに悲しいなら一緒に帰ろう」と言うが、両親の反対を押し切ってまで来たのだから頑張ってやってみようと意志を貫いたという。 6月にサンミュージックの事務所に初めてやってきた法子を見た当時の社長・相澤は、田舎から上京してきたばかりで垢抜けず爽やかでもないという印象を持ち、男性スタッフも同様に興味を持たなかったが、直接歌唱を聴いた幹部社員で、音楽プロデューサーとして信用されていた女性スタッフが聖子を熱烈に推したことで採用が決定し契約することになった。 法子は、社長から来年3月の卒業後に来るように告げられるが、7月、卒業を待たずに高校を中退し歌手デビューのため単身上京。 その行動力と熱意に押された相澤は法子を寮に住まわせに転入させた。 当時のサンミュージックは、新人アイドルとして売り出す予定のに注力していたため、法子がすぐに歌手デビューする予定はなかった。 しかし、翌年にはその方針が変わり、それによって当時のトップアイドルであったの引退という、時代の転換期である1980年にデビューすることとなる。 プロダクションが用意した「新田明子」と「松田聖子」という芸名から、法子は「松田聖子」を選んだ。 ちなみに「新田明子」という名は同プロ所属の中山圭子のため考えられてボツになったものだった(そのことを中山圭子は法子には言わなかったという)。 芸名については、当初ほぼ「新田明子」になる予定であったが、あまりパッとしない印象であり本人も気に入らなかったため、社長の相澤が当時凝っていたというに委ねた結果、の名付けで「松田聖子」に決まったという説もある。 11月、『』の「パンチ・ガール」のオーディションに合格し、翌年1月からレギュラー出演開始した。 12月には、系ドラマ『』にレギュラー出演(女優デビュー)。 ドラマの撮影シーンで、サンミュージックの先輩でもあるとのキスシーンがあり、聖子にとってはそれがファーストキスであったという。 法子は自分の芸名の「松田聖子」をそのままドラマの役名にしてもらった。 そして、の洗顔クリーム「エクボ」のCMモデルのオーディションを12月に受け、一次審査の面接、二次審査の水着での踊りに合格するが、最終審査のテスト撮影でどうしてもエクボが出なかったため不合格となる(選ばれたのは、同じく新人タレントの)。 聖子は「エクボ」以前にもアイスクリームのCM出演オーディションも受けていたが落ちていた。 なお、相澤社長は聖子にビジュアル的な面を期待しておらず、もっぱら歌だけでやっていこうと考えていたためCM出演させなかったとも語っている。 偶然にも、を代表するアイドルが引退する年の1980年に、聖子はレコードデビューすることになった。 聖子の「裸足の季節」の歌声はCMで頻繁に流れたものの、当初は顔と名前の浸透度が低く、CM映像に出演したと2人で行ったCMイベントのサイン会でも聖子の前には誰も並ばず、「あの娘は誰?」という目で見られ悔しい思いをしたと、後に発言している。 それから程なくしてテレビの歌番組などに聖子が登場するようになると瞬く間に人気が沸騰した。 デビュー当時のは「 抱きしめたい! ミス・ソニー」。 テレビCMで流れる聖子の歌声を初めて耳にした(のちに聖子の歌う楽曲の作詞を手掛けることになる作詞家)は直感的に、「彼女の声の質感と自分の言葉がすごく合うような気がした」という。 ジャケット写真で、歌っているのがCMの山田由紀子ではないと分かっても、その声量のある魅力的な声でレコードは売れ始める。 同年4月から、『』にのメンバーとしてレギュラー出演が始まり、「裸足の季節」で、『』に初登場。 『』の「スポットライト」コーナーにも第11位だったが初登場した。 同年8月には、2枚目のシングル「」で、TBS『ザ・ベストテン』に第8位で初ランクした。 9月、「青い珊瑚礁」は『ザ・ベストテン』での第1位を初めて獲得した(オリコンチャートでは最高第2位)。 9月25日の『ザ・ベストテン』で「青い珊瑚礁」が2週連続第1位となり、「」で10位にランクインしたと初共演した。 同番組ではとを代表するアイドルの最初で最後の共演となった。 同年10月発売の 3枚目のシングル「」は、初のオリコン・ヒットチャート第1位を獲得。 前曲の「青い珊瑚礁」で、1980年末のの新人賞を受賞。 にも初出場した。 その後にリリースした楽曲も伸びのある透明な歌声で続けざまに大ヒットし、聖子の人気はうなぎ登りとなった。 その「 ぶりっ子」と言われるほどの可愛らしい仕草や容姿も注目され、彼女のセミロングのふわっとした女の子らしいヘアスタイルは「」と呼ばれて全国の若い女性の間で大流行し、翌年1981年の年末に突然、聖子がショートカットになると今度はショートカットが流行り出した。 声質もデビュー間もない頃の声量のある力強い声から、酷使によりやや声がハスキーな色合いを帯びてからも、それを逆に活かした「」、「」などの代表曲が生れた。 当時の事務所の社長であったは、ファンが欲しているものをその場で判断して、それにあった雰囲気作りをする聖子の頭の回転の速さと行動力を評価しており、持ち前の声の良さとプロ根性と共にその「巧妙な自己演出」が松田聖子という歌手を完成させたと語っている。 「SWEET MEMORIES」(作曲:)は、元は「」のB面で、の缶ビールのCM曲だった。 CM使用部分は英語詞の部分で、当初は「歌・松田聖子」のテロップ無しだったため、「誰が歌っているのか?」という問い合わせや反響が相次いだ。 そして発売から約2か月後に『』でテレビ番組では初めてこの曲をフルコーラスで披露したところ、この曲にも俄然スポットライトが当たるようになった。 「SWEET MEMORIES」は後年、多くのアーティストにカバーされるほどの定番曲となる。 聖子の歌う楽曲は、デビュー初期はおもにの作詞、の作曲コンビだったが、の6枚目のシングル「」(作曲家は)以降は、作詞にが起用され(19枚目のシングル「」まで)、編曲は2枚目のシングル「青い珊瑚礁」以降、主にが手がけた。 80年代の作曲家陣は他に、、、、など系統でアルバム制作が行われた、聖子の代表曲である「」がの初めて手掛けた曲であることはあまり知られていない。 ちなみに編曲はである。 そうした恵まれた楽曲を聖子は歌いこなし、1980年の3枚目のシングル「」からの26枚目のシングル「」まで24曲連続で(週間)1位を獲得、から松田聖子へとアイドルの頂点は引き継がれた。 そして、その破局会見からわずか数か月後の4月には、映画『』で共演していたとの婚約を発表。 6月に派手なを挙げるなど芸能ニュースを賑わせた。 聖子と神田正輝の結婚式・の独占放送権を獲得したは、約10時間に亘りこの模様を放送。 の平均視聴率は34. を務めたのは当時の。 2日後の6月26日の『』では司会のが、出演者の郷ひろみに「聖子ちゃん、きれいだったわよ」と言い、郷が「そう…… よかった」とだけ応じる場面があった。 その後に郷は「」と「」を熱唱した(「哀愁のカサブランカ」の歌に合わせて、聖子との共演シーンが流される演出がなされた)。 1986年に、神田正輝との間の長女・を出産後もすぐに休業前と変わらずアイドル歌手として活躍した。 結婚以前のインタビューなどでは、自身の将来について、結婚後は芸能界を引退し主婦業に専念したいという趣旨のコメントも見受けられたが、夫となった神田正輝が「自由に働けば良い」と復帰を容認していたこともあり、ファンの期待に応える形で歌手業を続けるという選択をした。 妊娠中にレコーディングしていたアルバム『』(1986年6月発売)はの「アルバム賞」を受賞。 のアルバム『』からのシングル「」もヒットし、「 ママドル」という呼称も生まれた。 「ママドル」という言葉が最初に使われ始めたのは聖子の例からで、その後、かつてアイドルであった子持ちの女性タレントを示す言葉として頻繁に使用されるようになった。 のアルバム『』はによるプロデュースで、シングルの「」も第1位のヒット作となったが、この曲がTBS『ザ・ベストテン』最後の出演となった。 には、1985年に一度「」で海外進出を目睹したように(結婚・妊娠で小休止となったもの)、シングル「」、「」などを海外発売した。 「」はカナダで2位とヒットした。 これに関しては日本では報道されていないが結果を残した。 11月の31枚目のシングル「」から再び日本に拠点を移して活動。 32枚目のシングルの「」以降は、作詞だけでなく作曲にも自ら取り組むようになった。 のアルバム『』から1998年のアルバム『』までの6枚はセルフ・プロデュース、全曲作詞作曲(作曲の多くはの共作)が基本となり、シングル曲でもチャート4位の「きっと、また逢える…」(1992年)、7位の「」(1993年)、12位の「」(1994年)、5位の「」(1996年)などをヒットさせた。 特に、発表の「」は、久々にチャート1位となり、自身シングル初の(100万枚突破)を記録し、聖子の最大のヒット曲(2019年現在)となった。 また、この時期には「」(1997年)など、長女・沙也加への母性愛をテーマとした楽曲もいくつか発表した。 私生活では1月に神田正輝と離婚。 翌1998年5月に、6歳年下のと2度目の結婚(のち2000年12月に離婚)。 作詞家としては極めて個人的な感情を赤裸々にさらけ出す歌詞、あるいは非常に前向きな歌詞を書くことが多く、作曲家としては長調の曲を好む傾向がある。 また、「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」のように、や、あるいはやなどのにすることをアクセントに使う傾向も見られ、これは共作者である小倉良の特徴でもある。 のアルバム『』では、11年ぶりに作詞をが担当し、作曲も聖子以外の作曲家の作品となった。 アルバムには、1997年に亡くなったの遺した楽曲「櫻の園」が収録された。 次作の2000年のアルバム『』からは再び、おもに自身と小倉良の楽曲がメインとなるが、も制作に加わり、2000年のアルバム『』から2004年のアルバム『』までは原田真二が作曲・プロディースを担当した。 その間、海外進出第3弾となったアルバム『』もアメリカのインディーズレーベルで発売した。 2005年以降は、プロディースの2005年のアルバム『』を経て、2006年の『』で再び小倉良とのコンビとなり、それ以降もセルフ・プロデュースのアルバムがメインとなった。 また、2001年から2005年ごろは、芸能界デビューした娘のとやでよく共演したり、2005年以降は自身の旧来ファンである著名人とも共演したりした。 2010年以降 [ ] には、女性アーティストからの楽曲提供は以来26年ぶりとなる、作詞・作曲のシングル「」がオリコンチャート14位となった。 私生活では、6月に、同世代の大学准教授(歯科医)と3度目の結婚。 には、デビュー35周年記念のシングルとして、「」以来31年ぶりに松本隆と呉田軽穂()のコンビによる「」が発売されてチャート11位となった。 には作詞・作曲のシングル「」がチャート6位のヒットとなった。 年譜 [ ] 1970年代まで [ ]• 、(当時の)に生まれる。 出生名・蒲池法子(かまちのりこ)。 4月、に入学。 部に入部。 4月、系のに入学。 研究部に入部。 行事の際、皆の前でを読む「女神」という役職(各学年で1人ずつ)に選出される。 と主催の「」九州地区大会で優勝。 CBSソニー制作部・若松宗雄にスカウトされ、若松の紹介で東京音楽学院九州校(系列)に通い、東京の渡辺プロ本社にデモテープを送るが、写真選考で不採用となる。 6月、若松の導きによりのオーディションを受けるため上京。 社長のや男性社員はピンと来なかったが、直接歌唱を聴いた音楽プロデューサーの女性幹部社員らに注目され合格。 同プロダクションと契約。 7月、卒業を待たずに高校を中退。 歌手デビューのため単身上京。 サンミュージックの寮に入り、に転入。 その後、「松田聖子」という芸名を付与される。 11月、『』の「パンチ・ガール」のオーディションに合格。 翌年1月からレギュラー出演開始。 12月、系ドラマ『』に出演。 役名も「松田聖子」。 12月、の洗顔クリーム「エクボ」のCMモデルのオーディションの最終審査でエクボが出ず不合格(選ばれたのは)。 1980年代 [ ]• 2月、資生堂の洗顔クリーム「エクボ」のCMイメージソングの歌唱起用が決定。 4月1日、「エクボ」のCMイメージソング「」で歌手デビュー。 デビュー当時のは「 抱きしめたい! ミス・ソニー」。 4月13日、『』にのメンバーとしてレギュラー出演開始。 4月28日、「裸足の季節」で、『』に初登場。 7月、デビュー3か月でファンクラブ発足 発会式には5,000人が集まる。 7月、よみうりランドグリーンステージで『さわやかコンサート』を開き、8,000人のファンを動員する。 7月3日、「裸足の季節」で、『』の「スポットライト」コーナーに初登場(11位)。 8月14日、「」で、TBS『ザ・ベストテン』に初ランクイン(8位)。 9月18日、「青い珊瑚礁」で、TBS『ザ・ベストテン』の第1位を初めて獲得。 9月25日、『ザ・ベストテン』で「青い珊瑚礁」が2週連続第1位となる。 9月、日本青年館ファーストコンサート『First Kiss』開催。 10月 3枚目のシングル「」で初のヒットチャート第1位獲得。 8月 - 12月、「青い珊瑚礁」で新人賞をはじめ、10もの大きな音楽祭の賞を獲得。 に初出場。 「」と呼ばれるが大流行し、「」の年間売り上げでトップに輝く。 1月、のに出場。 3月、「青い珊瑚礁」が1981年春のの入場行進曲になる。 4月、初の全国横断コンサート(6か所8公演)の締めくくりにで『'81聖子ビックコンサート in TOKYO』を開く。 7月、6枚目のシングル「」発表。 7月 - 9月、コンサートツアー『Nice Summer Seiko』• 8月8日、初主演映画『』公開。 8月13日、「白いパラソル」が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「初登場第1位」を獲得(9072点)。 12月、「聖子ちゃんカット」をバッサリ切り、ショートカットになる。 この年の暮れから、父親の退職を機に両親を九州から呼んで共に暮らすようになる。 のちと結婚するまでは東京都東が丘の一軒家で、この家の門は、代表作「青い珊瑚礁」のサビ部分「あ〜私の恋は〜」の五線譜で飾られていた。 1月、8枚目のシングル「」発売。 3月、CBSソニー・ヒット賞受賞。 4月 - 5月、コンサートツアー『』開催。 8月、・『聖子フェスティバル』• 12月、初のでのコンサート『Christmas Queen』を開く。 2月、12枚目のシングル「」が10曲連続シングルチャート1位となり、 9曲連続のの記録を破る。 2月、で『Seiko New Year Concert』開催。 3月28日、の市営体育館でのコンサートにて、「」の歌唱中に観客席から男が乱入し、工事用のプラスチックパイプで聖子の頭部を目掛けて数回殴打するという事件が発生。 男は傷害の現行犯ですぐに逮捕されたが、聖子は右頭部と右手に全治約1週間の軽傷を負い恐怖で失神し、その日のコンサートは中止となった。 この様子は日本テレビがの放送のために撮影をしていたため、ワイドショー等で頻繁に放送された。 その後、4月5日のコンサートから復帰を果たした。 4月、フジテレビの音楽番組『』に出演。 『ザ・スター 松田聖子スペシャル 振り向けば・・・聖子』放送。 7月、コンサートツアー『アン・ドゥ・トロワ』開催。 との共演の主演映画『』公開(主題歌は13枚目のシングル「」)。 8月、「」がサントリー生ビールのCMソングに。 ジャケット写真は最初のものと後に発売された両A面版と2パターンある。 11月17日、「SWEET MEMORIES」(9位、6796点)と「」(2位、8199点)が、TBS『ザ・ベストテン』で番組史上初となる「2曲同時初登場」を記録。 12月、日本武道館でコンサート『』開催。 が舞台演出。 1月 - 4月、コンサートツアー『JEWELS』開催(15か所16公演)。 4月 - 6月、コンサートツアー『FANTASTIC FLY』開催。 日本武道館では香水をまく演出が話題に。 伊集院静が舞台演出。 7月、へ短期留学。 との共演の主演映画『』公開。 7月 - 11月、コンサートツアー『Magical Trump』開催。 伊集院静が舞台演出。 12月、コンサートツアー『GOLDEN JUKE』開催• 『ドレミファドン』のアンケートで「結婚したい女性」のNo. 1(回答は若い男性対象)となる。 1月23日、交際を公にしていた歌手・と破局について、の食堂にて涙の破局会見を行う。 2月、ハワイから帰国したが記者会見で松田聖子との交際を認める。 4月9日、神田正輝と松田聖子が婚約発表。 4月13日、神田正輝との共演の主演映画『』(ロケ)公開。 4月 - 5月、コンサートツアー『』開催(5か所8公演)。 6月、フィル・ラモーンプロデュースでシングル「」リリース。 6月24日、神田正輝と東京都目黒区で結婚。 2人の結婚は、世紀の結婚をもじって「 聖輝の結婚」と呼ばれた。 8月、初の英語版アルバム『』をリリース。 11月、翻訳した絵本『ベビー・ディヴァインの冒険』の発売。 12月、『紅白歌合戦』の出演以降、出産準備のため、約1年間テレビ出演などの主だった芸能活動を休止する。 1月、神田法子名義で自叙伝『聖子』出版。 6月1日、産休中にレコーディングを行ったアルバム『』リリース。 10月1日、長女・を東京ので出産。 12月、日本レコード大賞で、アルバム『SUPREME』がアルバム賞を受賞。 1年ぶりにステージに立ち、アルバムから3曲をメドレーで歌唱し、『紅白歌合戦』にも出場。 4月、約2年ぶりのシングル「」リリース。 4月23日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後のスポットライトを獲得(2年ぶりの出演)。 ランクインは次々週まで待つことになる。 6月4日、「Strawberry Time」でTBS『ザ・ベストテン』最後の1位を獲得。 5月 - 6月、コンサートツアー『』開催(8か所15公演)。 9月、TBS特別企画ドラマ『スイート・メモリーズ』主演。 12月、NHK紅白歌合戦に「Strawberry Time」で出場(8回目)。 2月14日、東京都目黒区のに現在も営業中のブティック「 フローレス・セイコ」 Flawless Seiko をオープン。 「フローレス Flawless 」とは "(宝石が)傷のない、完璧な" という意味で、ダイアモンドの最高級を表す。 3月、CBSソニー・ゴールドディスク大賞受賞。 4月、アルバム『』をがプロデュース。 4月28日、「」でTBS『ザ・ベストテン』最後の出演。 5月 - 9月、コンサートツアー『』開催(19か所25公演)映画監督・根岸吉太郎が演出を手がける。 9月、26枚目のシングル「」で24曲連続チャート1位獲得。 10月27日、「旅立ちはフリージア」でTBS『ザ・ベストテン』最後のランクイン(10位)。 12月、NHK紅白歌合戦に「Marrakech〜マラケッシュ〜」で9年連続出場。 6月30日、所属事務所「」との契約を満了。 独立し、個人事務所「」に籍を置く。 12月 - 1月、コンサートツアー『』開催(6か所14公演) 1990年代 [ ]• 5月、シングル「」 USA で、「New Kids On The Block」のDonnie Wahlbergとデュエット。 6月、アルバム『』で全米デビュー、アメリカでは『USマガジン』や『インターセクト』で特集される。 またイギリスのの朝のワイドショー番組『』(1990年8月) 、BBCテレビにも出演し、世界中のメディアに登場。 2月、ブティック「フローレス・セイコ」が4周年を迎え、記念イベントが行われ2,000人のファンが詰めかける。 3月25日、初の聖子自身による全曲作詞作曲プロデュースアルバム『』発売。 先行シングルは、自身初の主演連続ドラマTBS『』の主題歌「」。 この年から本人による作詞作曲プロデュースによる楽曲発表が主体となっていく。 6月 - 7月、コンサートツアー『』開催(10か所16公演)。 12月、初のクリスマスディナーショー(4か所8公演)を開く。 6月 - 7月、コンサートツアー『』開催(16か所24公演)。 12月、クリスマスディナーショー開催(全国13か所21公演)。 ビューティークリニックのイメージキャラクターに選ばれ、「ヌーディッシュ宣言」と題した本人の巨大広告やTVCMが話題となり、ワイドショーやマスコミなどで「第2次聖子ブーム」と騒がれる。 6月 - 8月、コンサートツアー『』開催(19か所28公演)。 12月、クリスマスディナーショー開催(10か所21公演)。 6月 - 8月、コンサートツアー『』開催(23か所33公演)。 12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。 5月にハリウッドとの合作作品となる主演映画『サロゲート・マザー』が公開。 主題歌「」を同曲の提供者でもあるとデュエットする。 5月発売米誌『BIKINI』でセミ・ヌードを披露。 再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「」に移籍。 6月10日、全米進出第2弾となる「」を発売する。 シングル「」が8年ぶりのオリコンシングルチャート1位、売り上げ110万枚とを突破し、自身最大のヒットとなる。 6月、コンサートツアー『』開催(21か所39公演)。 12月、クリスマスディナーショー開催(8か所20公演)。 1月、神田正輝と離婚。 離婚のニュースは、芸能報道の枠を超えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、が出された。 神田との離婚後も、学業半ばの娘の姓が変わらないようにするためを選び、上は神田姓であった。 6月 - 7月、コンサートツアー『』開催(13か所26公演)。 12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。 5月、6歳年下の・波多野浩之と交際2か月で結婚。 会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントがになる。 6月 - 11月、コンサートツアー『』開催(全国8か所22公演)(広島及び福岡公演は急病のため延期となった)。 12月、クリスマスディナーショー開催(全国8か所22公演)。 マネージメント事務所を「ファンティック」から元ソニーのプロデューサーだった若松宗雄が代表を務める「グリーンパークミュージック」に移籍。 10月、事務所移籍の諸事情で武道館他全国アリーナ会場の使用予約をとることができなかったため、初のライブハウス・ツアー『』開催(4か所9公演)。 12月18日、11年半ぶりに作詞家にを起用したアルバム『』を発売する。 なお先行シングルの「」は、フジテレビ系で放送されたテレビドラマ『』の挿入歌となった。 12月、クリスマスディナーショー開催(11か所)。 2000年代 [ ]• 4月1日、歌手デビュー20周年を迎える。 7月 - 8月、コンサートツアー『』開催(9か所16公演)。 9月、かつて交際していたとの曲「」発表の話があり受諾・発表し世間を驚かせる。 12月、波多野浩之と離婚。 12月、クリスマスディナーショー2000開催(12か所18公演)。 3月、初のスプリングディナーショーを開催する(全国9か所17公演)。 6月 - 8月、コンサートツアー2001『』開催(全国13か所23公演)。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(全国12か所)。 に復帰。 3月11日、ダイヤモンドのように最も輝く女性として『ダイヤモンド・パーソナリティー賞』を受賞し1000万円相当のダイヤを授与される。 6月21日、全米進出第3弾となる『』をHIP-O RECORDSより全米にて発売。 毎年恒例となっている夏のコンサートツアーには、発売されたアルバムタイトルがそのままツアータイトルになることがほとんどだが、02年には国内でのアルバム発売がなかったために『』と題したコンサートツアーが開催され約15万人を動員する。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー2002開催(全国15か所20公演)。 12月31日、この年からまで、で年末のカウントダウン・ライブを行う。 中継もされた(2005年以降はで開催)。 同年もアルバム発売がなかったため、夏のコンサートツアー(『)は同年6月に発売されたシングル「」をツアータイトルとし、「Call meでMeet me」キャンペーンと銘打った抽選により、ファンの楽屋招待と握手という直接交流企画を自身のコンサートツアーにおいて初めて実施して話題となる(全国12か所20公演)。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(全国11か所)。 岐阜市内のホテルでのディナーショーのアンコール中、握手した手を離さない男性ファンがいたため、ステージ上でしりもちをつき「頚椎捻挫、背部挫傷」の全治3週間の怪我を負う。 5月3日、にて横浜-巨人戦の始球式を行う。 7月11日、でのサンヨーオールスターゲーム第2戦のゲーム前に「」を斉唱する。 約3年ぶりのオリジナルアルバム『』が、7月21日付のオリコンアルバムチャート(週間)で初登場6位を獲得。 アルバムトップテン入りで女性アーティストではに並ぶ歴代1位に輝いた。 10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビドラマ『』()が関東地区で平均30. なお、このドラマはアジア・テレビジョン・アワード2005 単発ドラマ部門 最優秀作品賞を受賞する。 12月31日、デビュー25周年記念イベントを記念してファンクラブ限定の『スーパープレミアムコンサート』を品川新高輪プリンスホテルにて16時からと20時45分からの2部にわけて開催される。 会員限定ということもあり、通常のコンサートやディナーショーとは違い、聖子自身の幼少からの未公開写真や縁の品を観覧室に展示し順に観覧できるという特別な趣向が凝らされたイベントを行う。 6月5日のを初日に、歌手活動25周年に当たる全国ツアー『』を開始。 のファンからの強い要請に応え、8月20日、最終公演を台湾の新荘市にある新荘体育館で行う(デビュー初の海外公演)。 観客5000人から熱烈に歓迎され、でも歌った。 7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『』を96位にランクインさせた。 このボックス・セットは週間売上金額で2億1500万円を記録し、2位の『』(9300万円)を2倍以上引き離していた。 また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月のの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11か月ぶりに更新した。 その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。 松田聖子を取り上げた『松田聖子〜女性の時代の物語』()が放映される。 視聴率は9. 3月、歌手活動について古巣の「サンミュージック」と業務提携契約を締結。 8月1日、横浜スタジムにて横浜-巨人戦の始球式を行う。 11月20日、沖縄で24年ぶりの公演(ディナーショー)。 7月5日公開の実写版『』で清太の母・雪子を演じ7年ぶりの映画出演となる。 回想シーンでの登場を除けば登場は冒頭のみだが同作の挿入歌を担当。 6月、に再移籍することを発表。 毎年恒例となっている夏のコンサートツアーには、発売されたアルバムタイトルがそのままツアータイトルになることがほとんどだが、09年にはアルバムの発売がなかったために『』と題したコンサートツアーが開催され約14万人を動員する。 2010年代 [ ]• 4月21日、プリンセス・セイコとしてとコラボレーションして「」を発売。 5月5日、ドラマの主題歌としては14年ぶりとなるフジテレビのドラマ『』の主題歌「」を発売。 5月19日、26日の2週に渡っての『』で松田聖子スペシャルが放送され、1週目が7. 6月6日 - 8月7日、『』を開催(10箇所14公演)、計15万人以上動員する。 10月10日、20年ぶりとなるファンクラブ会員限定の『30周年記念ファンの集い』をにて開催。 参加は有料抽選申し込みだったが、日程的に急だったにも関わらず予想以上に申し込み人数が多くなってしまったため、4回に分けてファンの集いを行い、約5000人のファンと交流を果たす。 1983年に放映を開始したのTV-CMで、聖子自身が名前を伏せ「」をアニメのペンギンにあてて歌い話題となったが、そのアニメキャラクターのペンギンと27年ぶりに再びサントリーの缶コーヒー「ボス シルキーブラック」のCMで競演を果たし話題となる。 6月 - 8月、コンサートツアー『』を開催(7箇所11公演)• 9月7日、Hollywood Bowlで開かれた主催の『Quincy Jones Global Gumbo All Stars』にゲスト出演し、クインシーとの話し合いで同年3月11日に起きたへの復興への願いも込めて全米1位にもなったの「」を歌う。 10月1日、毎年恒例の夏の全国コンサートツアー中、客席のファンからの要望が多かったことにより、昨年の30周年記念のファンの集いに引き続き、この年はザ・プリンスパークタワー東京で2年連続となるファンの集いを、司会進行に、松田聖子の大ファンと公言し続けているを迎え開催、4回に分け約5000人のファンと交流する。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(12箇所27公演)• 女性アーティストによるシングル詞・曲楽曲提供は、1985年発売のの「」以来約26年ぶりとなる。 12月16日放送の『』(ニッポン放送)の公開録音を28年ぶりにファンを抽選で招待し行う。 5月2日、自身が作詞・作曲を手がけた新曲「」を発表。 「涙のしずく」は、2012年4月28日公開の映画『』のイメージソングに決定した。 6月 - 8月、コンサートツアー『』を開催(6箇所9公演)• 6月13日、自身の公式にて一般男性と結婚したことを発表。 再々婚後も神田姓を続称しているかどうかは明らかにしていないため、現在の本名は不明。 9月に全米でリリースされたジャズグループ、のアルバム『Espirit De Four』の中の「Put Our Hearts Together」でゲストボーカリストとして参加。 この曲は東日本大震災の追悼も込めた形でが作ったもの。 9月9日、東京国際フォーラムで行われた『東京JAZZ 2012』に、ボブ・ジェームス率いるユニットの特別ゲストとして出演。 10月29日、『Put Our Hearts Together コンサートin 大船渡』に出演。 この模様は12月27日、NHK総合テレビでドキュメンタリー番組として放送された。 11月4日、舞浜アンフィシアターにてファンミーティング開催。 司会は藤井隆。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(9箇所20公演)• 12月28日 - 29日、舞浜アンフィシアターにて初のバラードコンサート『』を開催。 2曲ともにコーラスでも参加している。 6月 - 7月、コンサートツアー『』を開催(5箇所8公演)• 7月31日 - 8月1日、で行われたの32年振りとなる来日公演にシークレットゲストとして出演。 9月14日、幕張メッセで行われた『UNIVERSAL SIGMA 10TH ANNIVERSARY 「SIGMA FES. 2013」 〜U-EXPRESS LIVE AUTUMN〜』に出演。 9月16日、舞浜アンフィシアターにてファンミーティング開催を予定するも荒天のため中止となる。 10月30日、とのデュエットソング「」を発売。 11月2日、TOKYO FM 『McDonald's SOUND IN MY LIFE』のゲストとして東京・渋谷スペイン坂スタジオに生出演。 その後、東京・お台場ヴィーナスフォートでシングル発売記念イベントを開催。 11月 - 12月、クリスマスディナーショーを開催(10箇所22公演)• 12月31日、「飛天」にて、『』を開催。 2回公演で、2回目は紅白歌合戦と、カウントダウンセレモニーが含まれていた。 6月8日 - 8月31日、コンサートツアー『』を開催(11箇所14公演)• 11月1日、「felicia club by Seiko Matsuda」(feliciaとclubの間はハートマーク)が自由が丘に開店• 11月21日 - 12月24日、クリスマスディナーショーを開催(10箇所22公演)• 12月31日、に大トリとして出場し、個人別で最高視聴率を獲得する。 4月17日 - 18日、舞浜アンフィシアターにて『35th Anniversary "Thank You Event!! "』と称したファンミーティングを開催する(合計5公演)。 司会は• 6月13日 - 8月30日、コンサートツアー『』を開催(5か所8公演)• 10月1日、で催された映画『PAN〜ネバーランド、夢のはじまり〜』ジャパン・プレミアレッドカーペットに出演する。 10月11日、舞浜アンフィシアターにて『35th Anniversary Seiko Matsuda Fan Meeting 2015』を開催する(1日3公演)。 キーボード奏者・野崎洋一とアルバム『』から『』までを振り返る。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(11か所24公演)• 12月31日、に2年連続大トリとして出場した。 』を開催(1日2公演)• 6月11日 - 9月22日、コンサートツアー『』を開催(5か所9公演)• 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(10か所22公演)• 6月10日 - 8月20日、コンサートツアー『』を開催(5か所8公演)。 7月8日の東京公演は、ケガのため椅子に座った状態で行われた。 関係者によると、数日前に転倒した際に背中と腰を強打し、一時は立ち上がることもできなかったという。 翌日の公演も同様に行われ、2日間の東京公演を決行した。 11月2日、オーチャードホールにて『SEIKO JAZZ 2017』を開催。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(10か所21公演)。 11月24日スタートのNHKのドラマ『』の主題歌「新しい明日」を担当。 同局のドラマ主題歌を歌うのは初めて。 1月25日、大阪フェスティバルホールにて『SEIKO JAZZ』を開催。 2月9日、愛知県芸術劇場大ホールにて『SEIKO JAZZ』を開催。 3月10日、舞浜アンフィシアターにて『SEIKO MATSUDA Birthday party 2018』を開催。 (1日3公演)• 6月9日 - 9月2日、コンサートツアー『』を開催(5か所8公演)• 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(11か所24公演)• 6月8日 - 8月3日、コンサートツアー『Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019 "Seiko's Single Collection"』を開催。 7月5日 - 8月5日、6日、8日の追加公演が発表され日本武道館は3daysになり福岡は久留米2daysが追加され千秋楽は大阪城ホールとなった。 11月 - 12月、クリスマスディナーショー開催(11か所23公演) 2020年代 [ ]• 3月14日、にて"SEIKO MATSUDA プレミアム バースデーステージ 2020"を開催予定も新型コロナウィルス感染拡大の影響により中止。 4月1日、デビュー記念日にセルフカバー『SWEET MEMORIES 〜甘い記憶〜』を配信リリース• "を開催予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響により2021年6月以降に延期。 7月15日、『瑠璃色の地球 2020』を配信リリース。 エピソード [ ] ぶりっ子 [ ] 「ぶりっ子」という呼称は、当時の人気コンビやが、聖子の見せる可愛いらしい仕草や言動がわざとらしいとしてからかったのが始まりで、ラジオ番組などで見せるサバサバした砕けた横顔とのギャップが顕著であることがその要因とされる。 また、レコード大賞新人賞を受賞した際に故郷の母親と電話でやり取りをする場面で、顔をしかめて泣き声を上げながらも、涙が明確に見えなかった様子から「うそ泣き聖子」と呼ばれ、「年上や男性、大衆に媚びるのが上手いしたたかな女」と、当時の女性の反感を買っていた面もある。 この言葉は当時のにまでなった。 上記のように、本来は否定的な意味合いを含む言葉で、人気者への嫉妬や羨望から来るものが大きい。 ただ、彼女がアイドルとして第一線で活躍を続けて実力を示すに従い徐々にそのような意味合いは薄れていき、彼女の人気を盛り立てる要素となっていった。 実際に大衆から「ぶりっ子」と呼ばれていたのはデビューから数年程の間である。 それ以降は聖子自身もコントなどで「ぶりっ子」発言をしたり、露骨に「ぶりっ子」を演じたりして、ネタとして使用することも多かった。 ヘアスタイル [ ] には聖子の髪型を真似た「」が世間の女性の間で大流行した。 後に登場した多くのアイドル達(「花の82年組」と呼ばれる、、など)も同様のスタイルでデビューするなど、この時代の女性達に与えた影響は大きい。 聖子自身はそんな「聖子ちゃんカット」流行真っ只中の1981年の暮れにばっさり切り、ショートカットにしている。 よって、彼女自身がこの髪型にしていたのはデビュー年の1980年から81年暮までの約2年間だった。 聖子がショートカットにしたことで追随する後続アイドルたちもまたこぞってショートカットに変え、今度はショートカットブームが訪れた。 「ソバージュ」とよばれる1980年代後期からまで世間で広く流行り続けたカーリーヘアーも1983年末、まだ日本では全くそのスタイル名も聞き慣れない頃に、聖子がいち早くその髪型でTVに登場して披露、紹介しこのヘアスタイルの名前が一気に広まっていくことになる。 1984年の秋に映画『』撮影用にニューヨークで髪型を変えるまでは、所属事務所近くの四谷『ヘアーディメンション』が行きつけの美容室だった。 海外進出 [ ] のでののために徹底的にを学び、のインタビューその他で堪能な英会話力を示し、またのにおけるコンサートなどではも披露している。 後半は歌手デビュー以外にもハリウッドデビューも考え、積極的にオーディションを受けて幾つか端役も得ている。 公開の映画『』で、日本人観光客の役として数秒程のシーンだがを果たしている。 に公開された主演の『』という青春コメディーの作品にて、ストーリーに無関係の冒頭のアジア人家族の娘役として登場した。 には、アメリカの人気サスペンスドラマ『』のシーズン5・第15回『魂の伴侶』に、主人公のベストセラー作について取材する為に訪米した「リク・イワナガ」役でゲスト出演した。 交友 [ ] デビュー当時は同期である、、らと仲が良かったとされ、特にの同級生でもあった良美とは聖子の結婚後も長く付き合いが続いていたという。 飲酒の習慣がない聖子は芸能界での交友録も多くはないと云われているが、元夫の神田正輝のゴルフ友達でもあったとは家族ぐるみの付き合いがあり、プライベートでカラオケに行ったり、自宅に招いて食事を振る舞ったりすることもあったという。 その他 [ ]• 1980年前半の全盛期を迎えていた頃、との初対面の際に馬場から、「俺はしか見ないから(松田聖子を)知らない」と言われたことがある。 1990年代後半からは「の女王」として知られ、1992年より毎年行われるそのショーは高い人気を誇っている。 チケット代は日本の全タレントの中で最も高い部類に入るが、常に即日完売となり入手が困難だと言われている。 やのS席は49,500円と高額で、では4人セットで220,000円という価格のものも存在していた。 11月、兄が卒業したの東京支部の総会に、私人としてノーギャラで、旧姓の蒲池法子でゲスト出演した。 子供の頃から兄とは仲がよい。 放送の『』の「ゴチになります! 7」にVIPチャレンジャーとして登場し、レギュラー陣を抑えて第1位を獲得。 ニアピン賞付きで5万円を獲得する快挙を達成。 しかし、2回目の出演では逆にビリになって自腹で払っている。 の『』には同姓同名の松田聖子という人物が登場した(演じているのは)。 また、離婚後の神田正輝が「渡る世間は鬼ばかり」に出演した際には、役名の「松田聖子」と共演する場面があった。 「蒲池」という名字が、の(本名:蒲池幸子)と同じなので、従姉妹や親戚なのではないか、と噂されることがあったが、仮に遠い先祖が同じだったとしても、2人は従姉妹でもなければ親戚でもない。 元夫の、娘のと共にが3人全員である。 エピソード2 [ ] 2015年4月に開催されたファンクラブイベント『Thank You Event!! 』において、本人より明らかにされたエピソード。 『』九州地区大会出場時には、2曲の楽曲を準備するよう指示があったため、の「」とのデビュー曲「」を準備しリハーサルで歌ったところ、係員より前者の「気まぐれヴィーナス」を指定された。 上京の1か月後より収録・出演したドラマ『』において、九州が抜けずにNGを連発。 、などの大御所俳優に迷惑をかけたと語っている。 健康維持・リフレッシュの方法は入浴と睡眠である。 ストレッチを毎日行っている。 6325 - DANCING SHOES EP EPCA-6325 A-6325 - 23rd ベルベット・フラワー 4月22日 EP 07SH1926 1 CT 10KH2179 - 2004年4月14日 CD SRCL-5696 - 24th 凍った息 1987年11月6日 EP 07SH2000 1 CT 10KH2355 - 2004年4月14日 CD SRCL-5697 - 25th No. CRAZY ME, CRAZY FOR YOU 1985 EP XDSH-93043 TOUCH ME DANCING SHOES Album ver. s Rampant Vocal Mark! s Rampant Dub 2002 LP JFT001 Mark! s Rampant Radio Mark! s Rampant Now Vocal Mark! Alan Reed 「LOVE YOU BETTER」作詞:Seiko Matsuda・Suzi Kim 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 「BETWEEN MY LINES」作詞:Seiko Matsuda・Suzi Kim 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 「STANDIN' TALL」作詞:Seiko Matsuda・Suzi Kim 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 「YOU AND ME AND TIME」作詞:Seiko Matsuda・Suzi Kim 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura、編曲:Ryo Ogura 「YOU'RE THE GIRL」作詞:Seiko Matsuda・Suzi Kim 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 「YOUR EYES Japanese Version 」 作詞:Alan O'day 作曲: 日本語詞:Seiko Matsuda 編曲:Ryo Ogura• 「くちびるNetwork」作詞:Seiko 作曲: 編曲: 「愛…illusion」作詞:Seiko 作曲: 編曲:かしぶち哲郎• 「雨のシナリオ〜Can't Say Good-bye〜」作詞・作曲:SEIKO 編曲:• 「駈けていく少女」作詞:Seiko Matsuda 作曲・編曲:• 「SHE IS MY NEW TOWN」作詞:Seiko Matsuda 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 「I just want to hold you」作詞:Seiko Matsuda 作曲:Seiko Matsuda・Ryo Ogura 編曲:Ryo Ogura 記録 [ ] シングル [ ]• 首位獲得数:25作(歴代6位・女性アーティスト単独2位)• 12枚目のシングル「」での1位獲得数9枚を抜いて単独首位獲得数1位を記録する。 首位獲得数25作まで記録を伸ばすが2000年10月にに抜かれるまで(2月〜10月)の約17年8か月間首位獲得数1位を保持していた。 女性アーティト・ソロ部門では2006年3月にに抜かれるまで(1983年2月〜3月)の23年1か月間首位獲得数1位を保持していた。 首位連続獲得数:24作(歴代7位・女性アーティスト単独2位)• 3作目の「」〜26作目の「」(10月〜9月)まで首位1位獲得数を保持し、上記に続いて12枚目のシングル「」でピンク・レディーの首位連続数9作を抜いて首位連続最高数単独1位を記録保持する。 2000年7月にB'zに抜かれるまで(1983年2月〜2000年7月)の約17年5か月間首位連続最高数1位を保持していた。 女性アーティト・ソロ部門では2010年10月に浜崎あゆみに抜かれるまで(1983年2月〜10月)の27年8か月間首位連続獲得数1位を保持していた。 月間チャート首位獲得曲:15作(歴代3位・ソロ1位)• 月間チャート1位月数:17月(歴代2位・ソロ1位)• 月間チャート1位最高連続獲得数:4作(計3回、歴代7位タイ・ソロでは単独3位)• 同曲による首位2週以上獲得数:14作(歴代1位)• 首位獲得週数:50週(歴代4位・ソロでは単独2位)• オリコンシングル同作による首位返り咲き最長週数:11週(「」・1983年8月15日付〜10月31日付)(歴代3位・ソロ1位、再発売の曲も含めると:歴代4位・ソロ2位)• ベスト10位以内獲得数:31作• ミリオンセラー獲得数:1作• シングル総売上枚数;1543. 9万枚(歴代14位・女性アーティスト単独5位)• 19作目の「」で、史上8人目(ソロでは7人目)、女性アーティストでは3人目のシングル総売上枚数1000万枚を達成。 デビューからの4年8か月での達成当時は、ピンク・レディーに次いでの当時2番目の早さ。 34作目の「」での総売上最多枚数を抜き総売上枚数単独1位になり、(5月〜8月)まで総売上最多枚数記録を保持していた。 の37作目のシングル「」で総売り上げ最多枚数記録を抜かれた。 53作目の「」でシングル総売上枚数1500万枚を達成。 史上8人目で女性アーティスト・ソロでは2人目の快挙であった。 日本人でアメリカのにチャートインしたアーティストとしては3番目の順位である。 「Right Combination」が最高位54位(1963年-「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」1位、1979年-「Kiss in The Dark」37位)。 アルバム [ ]• 首位獲得数:19作(歴代4位・女性アーティスト単独3位)• ベスト10位以内獲得数:50作 2017. 06 (歴代2位・女性アーティスト1位タイ)• ベスト100位以内同時チャートイン作数:13作(歴代3位タイ・日本人歴代1位タイ・女性アーティスト単独1位)• 8年間首位獲得(歴代5位・女性アーティスト3位タイ)• アルバム総売上枚数1356. 9万枚 ザ・ベストテンでの記録 [ ]• 1位となった回数:44回(3位)• 1位となった曲数:15曲(2位)• 1位となった連続最高週数:「」(1983年11月24日放送〜1984年1月12日放送)の8週で4位タイ• ベストテン入りした回数:218回(3位)• ベストテン入りした曲数:25曲(3位)• 1位となった年内最高獲得数:13回(1983年度による6位タイ) その他の記録 [ ]• アルバム・シングル総合売り上げ:2953万枚(歴代13位・女性ソロアーティスト5位)(2012年)• コンサート回数:113回(歴代2位・女性ソロアーティスト1位)(2019年7月時)• の年間アーティスト・トータル・セールス首位を獲得した(1984年)。 の大トリを2年連続(2014年〜2015年)でつとめる(紅組では、以来史上3人目)。 出演 [ ] テレビドラマ [ ]• (1979年11月5日 - 1980年5月5日、)- 松田聖子 役• (1981年4月3日 - 11月6日、)- 斎藤梓 役(初回2話のみゲスト出演)• 第6話「衝撃! 恐るべき少年放火魔! 」(1982年11月25日、)• スウィート・メモリーズ(1987年9月30日、TBS)- 水野薫・水野佳代 役(二役)• 風に恋して(1989年1月2日、テレビ朝日)- 三枝あやこ 役• ママ母戦争(1990年5月3日、日本テレビ)- 伊集院ななこ 役• (1992年1月10日 - 、TBS)- 谷口未希 役• '92秋(1992年10月8日、)- 優香子 役• (1993年4月16日 - 、TBS)- 帰山夕子 役• (1994年1月4日、テレビ朝日)- 竹内翠 役• ファイナル(1994年10月13日、フジテレビ)- 優香子 役• The Big Easy(1997年、USAネットワーク)• Partners(2000年、アメリカTVムービー)• (2004年10月26日、日本テレビ)- 佐藤由美 役• 2005年 秋の特別編『過去が届く午後』(2005年10月4日、フジテレビ)• (2007年7月 - 9月、フジテレビ)第1話・最終話 - 桜咲学園校長・椿 役(特別出演)• (2008年10月12日、フジテレビ)- 桜咲学園校長・椿役(特別出演)• (2008年6月20日、フジテレビ)- 先輩女性歌手 役(特別出演)• (2010年、)- イワナガ 役(吹き替えも担当)• (2012年1月 - 12月、NHK「大河ドラマ」)- ・ 役 バラエティ [ ]• (1980年 - 1985年、TBS)• (関西テレビ)(1986年6月9日、1991年1月3日、1991年10月12日、2007年4月20日)• 志村けんのだいじょうぶだぁお茶の間に笑顔をSP(2015年11月25日、フジテレビ)• 志村けんのバカ殿様笑いのお年玉スペシャル(2016年1月5日、フジテレビ) テレビアニメ [ ]• (2002年5月、FOX)- をする女の子 役(ゲストキャラクター)• (2006年11月、)- PawPaw 役• (2007年8月、テレビ朝日)- 本人 役(特別ゲスト) ドキュメンタリー [ ]• (1981年8月8日公開、) - 初主演・民子 役• (1983年7月2日公開、) - 主演・早坂恵美子 役• (1984年7月7日公開、東宝)- 主演・藤枝牧子 役• (1985年4月13日公開、東宝) -主演・沢木彩 役• (1990年11月10日公開、東宝、【W主演:】)- 主演・門脇亜由子 役• Final Vendetta(サロゲート・マザー)(1996年、東映)- 主演・ナオミ・野村 役• GEDO The Final Blade(2000年、東映)• (2001年、東映)- 揚げ羽の君 役• Shanghai Baby(上海ベイビー)(2007年、ドイツ作品)• (2008年)- 雪子(清太の母)役• (2010年4月29日公開、)- プリンセス・セイコ 役• 家族のレシピ(2019年3月9日公開)- 美樹 役 ラジオ [ ]• (1980年1月 - 12月、)• ピンクのスニーカー(1980年10月 - 1983年3月、)• 中塚政幸のガッツガッツナイト(1980年12月 - 1981年3月、)• 夢で逢えたら[(1981年4月 - 1983年3月、ニッポン放送)• (1982年4月 - 1983年3月、ネット)• (1983年10月 - 1985年3月、ニッポン放送)• (1986年6月、1987年4月、1987年11月、1989年6月、1990年11月、2008年5月19日、ニッポン放送)• スーパーギャング(1987年5月18日、TBSラジオ)• オールナイトニッポン GOLD(2010年5月28日、2010年12月15日、2011年6月2日、2013年6月21日、2018年6月8日、ニッポン放送)• オールナイトニッポン MUSIC 10(2015年10月 - 2018年3月、ニッポン放送)- 火曜日・月1回担当 CM [ ]• さしじん(と共演)• ヨーレル• アーモンドチョコレート&セシルチョコレート(田原俊彦と共演)• フロート• クルール• パナップ• (と共演)• キャデリーヌ• チョコピック• ワンタッチカレー• 熟カレー(と共演)• CANビール• シルキーブラック「シルキー歌姫(ディーバ)」篇• エクボ(歌のみ)• ピンポンパンツ• バイオ口紅、ファンデーション• アミノマイルド• パソコン 1983年から1984年にかけて、が発売した独自規格の「」、「SMC-777C」および「HB-55」のイメージとなった。 (現:)トークマン(カメラ)• ピコレ、アルバ• コンパルシリーズなど• ガスファンヒーターエアコン• エスタック、ブロン液W• ニューコース問題集• REX• TaKaRaCANチューハイ• 家族のやきそば(と共演)• U-kara• ザ・テレビジョン• アステル• チャーミーV• (・搭載シリーズ)• ライオンズマンション(と共演)• 化粧品• アスタリフト• 「偶然の出逢い」篇(と共演)• 「旅先の出逢い」篇• 「純白の出逢い」篇• 「ハリーさん・語る」篇「ハリーさん・歌う」篇• 「アスタキサンチンとは? 」篇「ハリーさん体操」篇• 「お肌の試食」篇「お肌の実感」篇• 「屋上新年会・アスタリフトジェリー」篇• 「それぞれの旅先」篇(と共演)• 「東京上空でお正月・アスタリフトジェリー」篇• 「お肌の実感」篇(2012年改定)• 「衝撃の出会い レタッチペン新登場」篇• 「実感してください」篇• 「肌時間旅行」篇• 「赤組・松田聖子」篇• 「聖子さんと赤い球体」篇• 「新発想・ジェリー」篇(と共演)• アスタリフト ホワイト• 「澄みきる美。 輝く美。 」篇(高畑充希と共演)• モバイル• パオン ディオーサ(クリーム リニューアル篇にて神田沙也加と共演)• 「眼鏡市場」• SUMMER COLLECTION「サングラスが欲しいなぁと思ったら」篇(2015年)• P'layer「新しいメガネ欲しいなぁと思ったら」篇• 「価値あるレンズ、価値ある価格。 」篇(と共演)• 「2016 お正月」篇• 「スマホ老眼」篇• 「価値あるレンズ、価値ある価格。 高機能レンズ」篇(西田敏行と共演)• 「真夏のサングラス」篇• 「2017 お正月」篇• 「FLORALE by Triumph」(2016年、2017年)• HILLS AVENUE• 「自由を、履く。 デビュー」篇• P&G• 「ダブル除菌」• 「寝汗がひどい夫」篇(と共演)• 「キッチン専用ファブリーズ」• 「妻の意地」篇(遠藤憲一と共演)• 前半の「夢のキッズショー」コーナー出演者として、「」等を歌唱• 対戦相手の歌手名の 内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある はトリ等を務めた回数を表す。 受賞歴 [ ]• 1980年• 新人賞• グランプリ• 専門審査員奨励賞• 新人賞特別賞• テレビ朝日 最優秀新人賞• 新人賞• 新人賞• 新人賞• 新人賞• 新人賞• 1981年• 日本テレビ音楽祭 金の鳩賞• テレビ朝日あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 審査員奨励賞• 日本歌謡大賞 放送音楽賞• ゴールデンアイドル賞• 1982年• CBSソニー ヒット賞• 日本テレビ音楽祭 トップアイドル賞• テレビ朝日あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 特別賞• 日本歌謡大賞 放送音楽賞• 日本有線大賞 有線音楽賞• 全日本有線放送大賞 優秀スター賞• 1983年• CBSソニー ヒット賞• 日本テレビ音楽祭 トップアイドル賞• 日本歌謡大賞 最優秀放送音楽賞• 金賞、ベストアルバム賞• 1986年 アルバム大賞• 1988年 CBSソニー ゴールデンディスク大賞• 1990年 話題賞(受賞理由:「どっちもどっち」の大胆演技で映画界の話題作りに貢献)• 1992年 最優秀ボーカル賞• 2002年• 第19回ダイヤモンド パーソナリティ賞(ダイヤモンド・インフォメーション・センター)• 第40回ゴールデンアロー賞 ゴールデン・スター賞女性部門• 2005年 アジア・テレビジョンアワード2005単発ドラマ部門 最優秀作品賞「たったひとつのたからもの」(主演作品)• 2009年 第18回 審査員特別賞(映画「火垂るの墓」)• 2013年 企画賞• 2015年 最優秀歌唱賞• 2017年 企画賞(Seiko Matsuda名義)• 2018年 第32回 ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤー(Seiko Matsuda名義) 著書 [ ]• 『両手で聖子』松田聖子著。 『もう一度あなた』松田聖子著。 『夢で逢えたら』松田聖子著。 ワニブックス• 『聖子20歳 愛と歌の青春譜』松田聖子著。 少年画報社• 『青色のタペストリー』松田聖子著。 『夢で逢えたらパート2』松田聖子著。 ワニブックス• 『赤いスイートピー』松田聖子著・ 写真。 『愛する人に』松田聖子著・ 写真。 『勇気を出してSay Hello! 『聖子』著。 - 書籍 [ ]• 『松田聖子のバランスシート』相澤秀禎著。 『松田聖子』地球音楽ライブラリー。 『松田聖子論』著。 - 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 神田正輝との結婚の披露宴の際に身につけていた緞子織りの白無垢に左三巴紋が記されていたことがテレビでも放送された。 後に郷は「会見することも知らなかった。 あんなセリフも言っていない。 僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とジョークを交じえて否定したという。 『』で聖子の大ファンだというと共演。 放送の『』で聖子の大ファンだというと共演。 放送の『HEY! HEY! HEY! MUSIC CHAMP』で聖子の大ファンだというと共演。 逮捕された男は沖縄の地元民ではなく、に住むファンを名乗る19歳の少年であった。 を患っており埼玉県の精神病院に入院していた精神病患者でもあった。 2日前の26日に外泊許可を取得し、前日の27日に家族と一緒に買い物にに来ていたが、その最中に行方をくらまし、手持ちの小遣い35,000円で航空券を購入して沖縄へ飛ぶ。 その後、凶器となった陳列ケース棚を留めるスチール製の金具を購入したという。 犯行動機については「 有名人である松田聖子を殴ることで自分も有名になりたかった」と供述しており、聖子にとってはいわれなき災難であった [ ]。 山下達郎のカバー曲、原曲は英語詞だが、松田が日本語詞を提供している。 出典 [ ]• , p. 109,234• OTONANO. ソニー・ミュージックダイレクト. 2018年8月12日閲覧。 66-116• 277-316• 43-45• 18-65• 福岡県立柳川古文書館• 詳しくは「」を参照のこと• , pp. 299-300• 317-350• 203-241• 歌謡ポップスチャンネル. 2018年8月17日閲覧。 「米へ進出 日本のポピュラー」『』1991年4月20日付朝刊、p. 2012年4月10日• ORICON NEWS oricon ME. 2017年10月13日. 2017年10月14日閲覧。 natalie. 2020年7月15日. 2020年7月16日閲覧。 72-73. まんたんWEB 2015年6月26日. 2015年6月26日閲覧。 眼鏡市場 2015年8月8日. 2015年8月8日閲覧。 眼鏡市場 2015年11月20日. 2015年11月20日閲覧。 眼鏡市場 2016年4月1日. 2016年4月1日閲覧。 眼鏡市場 2016年4月23日. 2016年4月23日閲覧。 音楽ナタリー. 2016年5月25日. 2016年5月25日閲覧。 ヒルズアベニュー 2017年2月27日. 2017年2月27日閲覧。 参考文献 [ ]• 『人気づくりの法則』 、1988年4月。 - 文庫版は1995年5月• 『松田聖子と中森明菜[増補版]一九八〇年代の革命』 、2014年12月。 - 文庫版は1981年7月• 『昭和55年 写真生活』 、2016年12月。 『 2016』 、2016年1月。 関連項目 [ ]• (1998年にフローレスセイコ限定で『松田聖子ドール Seikoちゃん』というリカちゃんサイズの人形をから発売した)• - 同じ年にデビューした歌手 関連人物 [ ]• 外部リンク [ ]• - チャンネル•

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