母 誕生 日。 ご存知でした?!母の日の起源 [社会ニュース] All About

ご存知でした?!母の日の起源 [社会ニュース] All About

母 誕生 日

母の日の意味や由来をご紹介! 母の日は毎年、 5月の第2日曜日です。 日本に母の日が伝わったのは 大正時代と言われおり、全国的に広がったのは、 第2次世界大戦後なんですよ。 母の日はアメリカで生まれた 20世紀初頭、アメリカのウエストヴァージニア州に、「アンナ・ジャーヴィス(Anna M Jarvis)」という女性がいました。 アンナさんの母親は1905年5月9日に亡くなりましたが、アンナさんは自分を苦労して育ててくれた母親を敬愛し、この母親を敬う気持ちを、母親が亡くなったあとも、この世の中に残しておきたいと、 母親のための祝日を設ける運動を始めたのです。 アンナさんの母親 アンナさんの母親は「アン・ジャービス」という人です。 アンさんは、敬虔なクリスチャンであり、地域の医療・衛生環境を改善しようと、「Mothers Day Work Club」というボランティア団体を組織し、地域の医療補助活動を行っていました。 アンさんの「Mothers Day Work Club」というボランティア団体がアメリカで注目されることになったのは、 「南北戦争」の時でした。 当時のアンさん住むウエストヴァージニア州のウェブスターというところは、「北軍」と「南軍」の両軍勢が駐屯する場所でした。 当時のウエストヴァージニア州は医療の発達の遅れや衛生環境も悪かったこともあり、両軍の兵士の間で「チフス」や「はしか」などの病気が流行っていったのです。 その時、アンさんのボランティア団体「Mothers Day Work Club」は、「北軍」と「南軍」関係なく 病気やケガに苦しむ全ての兵士たちに救いの手を差し伸べました。 アンさんは南北戦争後も、 平和活動や 子供たちへの教育支援など幅広く活動を続け、1905年5月9日に亡くなったのです。 アンナさんの運動が賛同された 偉大な母親を敬うアンナさんの 「母親のための祝日を設ける運動」は、賛同者も広がっていき、やがてはアメリカ全土にも拡大することになりました。 そして、1914年、アメリカ連邦議会は 5月の第2日曜日を 「母の日」とする法律を可決し、翌年1915年に法律が施行され、世界で初めての国全体における 「母親のための記念日」が誕生したのです。 【母の日】日本での始まりは? 1915年にアメリカで制定された「母親のための記念日」は今度は、世界各国に広がっていきました。 日本でも、1915年直後に、キリスト教の教会などではすでにお祝いが始まっていたと言われています。 日本で全国的に広がったのは、1937年に森永製菓が「母の日」を全国的に告知したことでした。 スポンサーリンク 白いカーネーションは、彼女の母、アンさんが好きな花だったのです。 それから、母が健在であれば「赤いカーネーション」、亡くなっていれば「白いカーネーション」を贈る流れができました。 ですが、赤と白という区別を生む状況や、母親がいない子供への配慮も含め、 「赤いカーネーション」が一般化したのです。 現在では、カーネーションの色も多彩になったことから、赤いカーネーションに拘らず、色んな色のカーネーションを贈る方も増えてきました。 カーネーションは色によって意味合いが違う? 現在では、多彩な色が出回るようになったカーネーション。 それぞれの色によって、意味合いが違うようですのでご紹介します。 母の日に花を贈る意味! なぜ花なの?と思われる方もいらっしゃいますが、始まりが 「白いカーネーション」から始まり、 「赤いカーネーション」そして多彩な色のカーネーションへと広がり、現在では、母の日にカーネーションに拘らず、 他の花を贈る方も増えていったのです。 母といえども 「女性」です。 花を貰って喜ばない女性はあまりいません。 また、花は華やかな気持ちにさせてくれるものでもあるので、母の日に限らず、 「ギフト」として定着しているのです。 カーネーション以外の母の日におすすめの花 あじさい 花言葉: 「辛抱強い愛情、元気な女性」 家族の中心で頑張るお母さんへ 「いつまでもお元気で」の意味合いを込めて贈ると喜ばれます。 バラ 花言葉: 赤「情熱」、ピンク「上品」、白「純潔」、青「奇跡」、オレンジ「無邪気」 バラは花の中でも特別なものかもしれません。 女性に永遠に愛され続けるバラは、優美な香りと華やかさを楽しめて、母の日に贈る花としてもピッタリです。 胡蝶蘭 花言葉: 「幸福の訪れ」 花言葉がいいですね。 「お母さんの幸せを願って」といった意味合いで贈ると喜ばれます。 百合 花言葉: 「威厳、純潔、無垢」 甘く優雅な香りの百合。 凛とした美しさは見ている人を魅了します。 そんな気品あふれる百合も母の日にはおすすめです。 カサブランカ 花言葉: 「雄大な愛、威厳、高貴」 豪華で気品あふれ、優雅な甘い香りのカサブランカは、その華麗さから、「花の女王」と称されています。 「お母さんの大きな愛に感謝して」といった意味合いで贈ると喜ばれます。

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母 誕生 日

「母の日」創設を推進し、後に反対派に転じたアンナ・ジャービス。 この祝日が商業利用されるようになると、「母の日」誕生の立役者となった人物は反対運動に身を捧げ、ついには財産を使い果たし、衰弱して療養所で亡くなった。 しかし、彼女の死後もむろん「母の日」は消えることなく、現在もなお世界中で、さまざまな形で祝われている。 米ウェストバージニア・ウェズリアン大学の歴史学者キャサリン・アントリーニ氏によると、早くも1850年代には、ウェストバージニア州で女性による社会活動を展開していたアン・リーブス・ジャービスという人物が、「母の日ワーク・クラブ」(Mother's Day Work Club)を組織していた。 衛生状態を改善し、病気治療と母乳の汚染防止を通じて、乳児死亡率を低減することを目的とした活動だ。 1861~1865年の南北戦争中には、南北双方の負傷兵を看護する活動も行っていたという。 南北戦争後、ジャービスら女性たちが中心となり、「母の友情の日」(Mother's Friendship Day)と題したピクニックやその他の催しを開いて、かつての敵同士を結びつける平和活動を行うようになった。 米国の愛国歌『リパブリック讃歌』(The Battle Hymn of the Republic)の作詞者として知られるジュリア・ウォード・ハウは、1870年に有名な「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発表して、女性たちに政治に参加し、平和を推進するよう呼びかけた。 同じ頃、ジャービスは南北に分かれて戦った人々のために、ウェストバージニア州全土で「母の友情の日」を開催していた。 しかし、現在われわれが知る「母の日」の誕生に最も貢献したのは、彼女の娘であるアンナ・ジャービスだ。 ただし、アンナはその後の人生の大半を、現在のような母の日を撲滅する活動に費やすことになる。 母の日のルーツ アンナ自身は生涯子どもを持たなかったが、1905年に母のアンを亡くしたことを契機に、母の日誕生の立役者となった。 最初の母の日が祝われたのは1908年のことだ。 1908年の5月10日、アンナの出身地であるウェストバージニア州グラフトンや、アンナが当時住んでいたペンシルベニア州フィラデルフィアなど数都市で、家族が集まる催しが開かれた。 催しが行われたグラフトンの教会は現在、「国際母の日教会」(International Mother's Day Shrine)と改名されている。 主にアンナの働きかけによって、母の日は多くの市や州で祝われるようになり、1914年には当時の米大統領ウッドロウ・ウィルソンが5月の第2日曜日を正式に祝日と定めた。 「アンナにとって、その日は家に帰って母親と過ごし、母親のしてくれたことに感謝するための日だった」と、ウェストバージニア・ウェズリアン大学のアントリーニ氏は述べている。 「すべての母親を祝うのが目的ではない。 自分たちの知る最高の母親、すなわち自分の母親を、子どもとして祝うための日だった」。 アンナがこの日を複数形の「Mothers' Day」ではなく、単数形の「Mother's Day」で呼んだのはそのためだとアントリーニ氏は言う。 しかし、アンナの成功はほどなく失敗に変わる。 「母の日」を攻撃 アンナにとって内輪で祝うものだった母の日は、いつの間にか花やキャンディ、グリーティングカードを買って贈ることが主体の商業的な日に変貌していた。 この変化に強い不満を覚えたアンナは、自身が相続したかなりの資産を投じて、母の日を厳粛なルーツに立ち返らせるための活動を始めた。 アンナは「母の日国際協会」(Mother's Day International Association)を立ち上げ、この祝日の主導権を取り戻そうとした。 不買運動を展開し、訴訟を起こすと警告した。 慈善活動の資金集めに母の日を利用したとして、時の大統領夫人エレノア・ルーズベルトを非難しさえした。 アントリーニ氏によると、「1923年には、フィラデルフィアの菓子製造業者の集会に押しかけた」という。 その2年後にも、同様の抗議活動を行っている。 「現在も存続している『アメリカ兵士の母の会』(American War Mothers)という組織が、資金集めに母の日を利用し、毎年カーネーションを販売していた。 これに腹を立てたアンナは、1925年にフィラデルフィアで開かれた同組織の集会に押しかけ、治安を乱す行為を理由に逮捕された」。 母の日を改革しようというアンナの熱心な活動は、少なくとも1940年代初めまで続いた。 1948年、アンナはフィラデルフィアのマーシャル・スクエア療養所で84年の生涯を閉じた。 「アンナは財産を使い果たし、認知症になって療養所で亡くなったが、彼女こそ、その気になれば母の日を利用して利益を得られたはずだ」とアントリーニ氏は言う。 「しかし、彼女はこの日を金儲けに利用する人々を攻撃した。 結果として彼女は、経済的にも肉体的にもすべてを失ってしまった」 文=Brian Handwerk.

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母 誕生 日

イギリス…イースターの2週前の日曜日• スウェーデン・フランス…5月最終日曜日• スペイン・ハンガリー…5月第1日曜日 5月以外が【母の日】 ルーマニア・エジプト・アルゼンチンなどもあります。 国によって違いますが、このように【母の日】は世界中で祝われているんです。 母の日 日本ではいつから始まったの? 一番最初に日本で【母の日】が行われたのは、 明治時代の末期と言われています。 それが大正時代に、キリスト教が広がるとともにジワジワと全国に広がり、定着したと言われています。 森永製菓が、1937年に「母の日」を告知したことで日本中に、一気に広がりを見せたとも言われています。 また、 昭和に入ると、母の日は、当時の皇后の誕生日の3月6日を母の日として定めていたのですが、第2次世界大戦終了後、アメリカにならって5月の第2日曜日に行われるようになり、現在に至るのです。 母の日はいつ生まれたの? では、なぜアメリカでは5月の第2日曜日を【母の日】としたのでしょう? 19世紀のアメリカでは、夫や息子が戦争に駆り出されることに反対した女性の平和運動が行われました。 アメリカで起こった「南北戦争」では、アンさんが住む町は「北軍」と「南軍」の両兵士が駐屯する場所にありました。 病気やケガに苦しむ両軍の兵士を分け隔てなく、救いの手を差し伸べたのが、アンさん率いる「Mothers Day Work Club」のメンバーでした。 また、アンさんの活動は「南北戦争」が終わった後も続き、平和活動や子供たちへの教育などの支援を続け、1905年5月9日にこの世を去りました。 やがて、アンナさんが行った「母親のための祝日を作る運動」に賛同した教会が、1908年5月10日(当時の第2日曜日)に「母親のための日」として式典を行い、アンさんの功績も手伝って、賛同者がアメリカ全土に広がったと言われています。 そして、その運動がアメリカ連邦議会を動かし、 1914年に5月の第2日曜日を「母の日」とする法律が制定され、翌年から、世界で初めての「母の日」が誕生しました。 「母の日」の始まりは、感謝ではなく、尊敬の念から始まったものだったのです。 簡単に言うと、家族や他人の平和(幸せ)のために尽くした、立派なお母さんのために、母親に感謝する日をつくるための運動を起こしたのが、アメリが全土の賛同を得て、「お母さんのための記念日」を誕生させたのが【母の日】始まりなんです。 母の日 カーネーションをあげるのはなぜ? 幼稚園や小学校の頃、「母の日」といえば、 カーネーションをお母さんにプレゼントしていませんでしたか? どうして「母の日」にカーネーションを贈るようになったのか、下記にご紹介しますね。 アンナさんが行った「母の日」の式典で、来場者に配られ、祭壇に飾られたのが、 アンさんが生前大好きだった白いカーネーションだったのが始まりとされています。 それから、 「白いカーネーション」は、母親が亡くなっている場合に飾られ、健在であれば「赤いカーネーション」をプレゼントする流れが出来ました。 その後、 母親がいない子供に配慮したり、赤と白と区別(差別)を生む状況などから、赤いカーネーションを贈ることが一般的となっていきました。 現在では、様々な色のカーネーションがありますので、赤いカーネーションにこだわらずプレゼントするようになっています。 カーネーションの花言葉は? 本来のカーネーションには 「女性の愛」「感覚」「感動」「純粋な愛情」という花言葉があります。

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