天気の子考察。 映画【天気の子】考察・評価~いろんなシーンの描写や設定が現実の社会問題と絡められてた話~

『天気の子』ヒロイン・天野陽菜(あまのひな)の謎考察

天気の子考察

感想 *ネタバレあり 今回も一目で新海作品とわかるほど美しい映像が楽しめるが、内容はめざらしく 残酷。 また、わりと はっきりとしたメタファーを用いているところも新海作品としては珍しい。 以下考察。 本作の主題は エゴと代償。 物語の前提として、日本は異常気象に見舞われている。 人間はその異常気象を疎み、晴れを願っている。 本来人間にはどうすることもできない自然現象を疎ましく思い、どうにかコントロールしたいと願う 人間のエゴが冒頭から作品全体を覆っている。 そこに天気をコントロールし、100%晴れをもたらすことができるヒロインの陽菜が登場する。 彼女は 代価をもらうことで人間のエゴを叶えるシステムのメタファー。 システムには必ず犠牲が伴い、いつか終わりが訪れる。 陽菜の存在はそれを象徴している。 美しい映像と爽やかな人物造形からつい見逃してしまいがちだが、本作の登場人物たちは 胸くそ悪くなるほどにエゴイスティックだ。 特に主人公の帆高。 親の心配を顧みず家出し、たまたま見かけた陽菜にはおせっかい、拾った拳銃を届け出ずに所持、その上発砲(護身とはいえ)。 陽菜に不思議な力があると知ると、彼女の気持ちも確認せずに すぐさまマネタイズに走る。 また、エゴではないが何かと知恵袋で質問するところも主体性がない。 正直、相当ヤバい人間だと思うのだが、いかんせん作画が爽やかで愛嬌があるので騙されてしまう。 この帆高が最後の最後にとてつもないエゴを発揮させるのだが、それは後で説明する。 須賀については誰しも納得できるだろう。 命の恩人のポジションを獲得すると、その代償として高校生に夕飯をおごらせる。 立場を利用して格安でバイトに雇う。 陽菜の力を知って娘との面会に利用、その後 陽菜が異常気象を払うことで犠牲になり消えると分かっても、その方が自分と娘に都合がいいからと放置。 また、陽菜に晴れを依頼する人たちも、自然現象を意のままに操りたいと願っている点でやはりエゴイスティックな人間であると言えるだろう。 陽菜はそんな人間と自然の間に存在するシステムだと述べた。 システムには必ず犠牲が伴い、いずれ崩壊する。 人間はその犠牲に目を瞑り、なかったことにしてシステムの恩恵を受け、エゴを満足させる。 陽菜に晴れを依頼した人達は、陽菜が犠牲になっていることすら知らない。 安くて便利な商品を手にした人が誰かの犠牲なんて考えもしないように。 ただ、陽菜を天気の子にした帆高は彼女が自身を犠牲にし、人々の願いを叶えてきたことを知る。 そこで帆高は システムの犠牲者としての陽菜を救うため動き出す。 すると陽菜自体は延命されるが、今度は自然が猛威を振るい、 異常気象となって人々のエゴそのもの(生活、仕事、インフラ等)を飲み込んでいく。 天気を操れる陽菜は、帆高の気持ちを理解しながらも、システムの犠牲という自らの使命を全うし、異常気象を止めて人々を救う。 普通の作品ならここで 「僕らは常に、誰かの犠牲の上に生きている…」というメッセージで締めるだろう。 しかし、 新海監督はそんなぬるいところでは終わらず、主人公帆高のエゴをさらに推し進めていく。 帆高はシステムの犠牲となり異常気象を止めた陽菜を救いにいく。 恐らく彼は陽菜が救われたときまた異常気象が発生することを知っていたのだろう。 それでも帆高は警察の逮捕から逃れ、恩人の須賀にも逆らってあの鳥居を目指す。 ( ちなみに、警察は完全にまっとうな理由で帆高を追っている。 逃亡する帆高の方が100%悪い)。 陽菜を助けに向かう帆高は情熱的で感動を呼ぶ流れだが、よく考えてみればこれもまた 陽菜の意志とは無関係で(陽菜は自分の意志で犠牲者となった)、帆高はただ 自分の好きな女に消えて欲しくないというエゴで動いているにすぎない。 システムの犠牲者に(不本意とはいえ)既に諦めの気持ちがあり、そのことで明らかに何千何万の命が救われるとわかっていても自分の気持ちを押し通す帆高に共感はできない。 そこで流れる主題歌「愛にできることはまだあるかい」が、あまりにも意地悪な皮肉にしか聞こえない。 帆高の暴走は愛と呼んでいいのだろうか? そうして陽菜を救った帆高はなんと陽菜にもエゴを勧める。 他人も、街もどうなってもいいから自分のために祈れと。 その結果、 異常気象は再発、3年も雨が降り止まず、東京は水没。 人命や都市機能、経済にどれだけの損失が出たかは計り知れない。 そんなことを気にする様子もなく、帆高は自分の選択を 「大丈夫だ!」と言う。 どこまでエゴイストなんだろうか? 恐らくこの「大丈夫だ!」は帆高の台詞というよりは、帆高を通して若者を観る新海監督の台詞だろう。 ここまでエゴイスティックに生きて、世界をかき回しても大丈夫なんだよ、と。 若者には響くのだろうか? 40代の自分にはさすがに響かなかった。 そのことがちょっと寂しく感じた。 本作の構造として、救いがどこにも存在しない。 1を救えば多が犠牲となり、多を救えば1が犠牲となる。 多くの答えがある中で、主人公に1を救いにいかせ、多の犠牲も描くには相当な覚悟が要っただろう。 私見だが、新海監督ひょっとして「君の名は」でさんざん童貞だの青臭いだのと批判されて怒ったんじゃないか? 僕だってここまでできるんだぞ! と己の覚悟を見せたのが本作のような気がする。 これだけエゴに突き動かされた帆高に、最後の最後で 社会と和解させなかったのも偉いと思った。 これだけ好き勝手やらせて、 異常気象は数ヶ月で終わり、またいつもの東京に戻った、陽菜は時々気まぐれに晴れをもたらしている……なんてぬるい終わり方をされていたら、新海作品は二度と観ないだろう。 本作を観て、改めて新海監督が 物語りに誠実な作家だと安心した。 書き忘れたが、 キャラのテンプレ感は次回はなんとかしてほしい。 帆高と陽菜が瀧と三葉にしか見えなかった。 【広告】.

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【考察】『天気の子』の「違和感」の正体は結局何だったのか? 心理学から解説してみる(ネタバレ有り)

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事実、新海誠監督は『天気の子』の小説版のあとがきにて、映画というメディアにおける(小説とは異なる)表現方法について、こう記しています。 「映画の台詞は基本的に短ければ短いほど優れている(と僕は思ってる)。 それは単なる文章ではなく、映像の表情と色、声の感情とリズム、さらには効果音と音楽等々の膨大な情報が上乗せされて完成形となるからだ」と。 だからこそ、『天気の子』は1つ1つのシーンそれぞれに「これはこういうことなんだろう」と深読みができる、登場人物のそれぞれの気持ちを考えてみるとさらなる感動がある、重層的な物語構造も持った豊かな作品になったのでしょう。 なお、項目2. 参考としつつ、観た方がそれぞれの解釈を見つけていただけたら幸いです。 例えば、序盤の彼は頰と鼻にバンソウコウを貼っていて、漫画喫茶で過ごしていくうちに剥がしています。 実は、小説版では帆高が「親父に殴られた」という記述があるのです。 映画でのバンソウコウは、その殴られた時の傷を治すためのものだったのでしょう。 そんな帆高は、後に反社会的な行動を繰り返してしまいます。 しかしながら、彼は序盤でお酒を並べられ乾杯を促されても「未成年だから」とジュースを自ら選び取っていて、終盤でもバイクで二人乗りをする時にヘルメットを(あごひもは忘れていますが)ちゃんと被っています。 須賀にはご飯を奢って恩を返していますし、後にアメと名付ける迷子の猫にも栄養機能食品をあげています。 彼は客観的に見れば正しくない、はっきり犯罪と言える行動をしているようで、根っこでは最低限の社会性もあったのでしょう。 その過去を明確に描かなかったことも、観客それぞれの経験や過去を彼に投影しやすくなりという点でもプラスであったと、肯定したいです。 具体的には、彼は冨美という老婦人の家に訪れたとき、肩たたきや肩もみをしてあげているんですよね。 しかも、姉の陽菜が母を亡くしてからずっとバイトをしている理由について「きっと俺のためなんだ。 俺、まだガキだからさ」と、姉が自分のことを大切にしているということを、子供であることも自覚しつつ言葉にしているのですから。 また、凪は終盤に「カナ、こちらアヤネさん。 アヤネ、こちらカナちゃん。 こちら、婦警の佐々木さん」と丁寧にその場にいる人を紹介しています(このカナとアヤネという女の子の名前は演じている人気声優の花澤香菜と佐倉綾音から取られており、それぞれの名前と苗字が入れ替わっています)。 実は、序盤では姉の陽菜も同様に「帆高、この子、弟の凪。 この人、帆高。 私のビジネスパートナー!」と丁寧に紹介しているんですよね。 凪はお姉ちゃんの行動から素直に学び取っている、お姉ちゃんっ子であることもわかるのです。 で後述します)。 鑑賞後にお読みください。

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【ネタバレ感想考察】「天気の子」を君の名は。嫌いがみた結果|愛が歌われ尽くした世界で描かれた現代人への応援歌

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映画「君の名は。 」で異例の大ヒットを起こし、一躍時の人となった新海誠監督が3年ぶりに制作した新作「天気の子」。 君の名は。 を期待値MAXで観て、全然楽しめなかった勢の筆者ですが、ここまで盛り上がっている作品を見逃すわけにはいくまいと早速観てきました。 結論、君の名は。 よりも面白かったし、普通に良い作品だな、と思いました。 細かいところはやっぱり苦手でしたが。。。 作品の根底にあるメッセージに救われてしまった。 正直終盤までは「やっぱり全体的に苦手だな〜このまま終わる感じかな〜」と思っていましたが、 終盤に圭介が放った一言で評価がドカッと上がりました。 あの一言は本当目からうろこが落ちた。 今作を筆者なりに一言で表すなら 「迷える現代人への応援歌」です。 ということで、この記事では新海作品を「君の名は。 」しか観ていない上にあまり楽しめなかった勢の目線から「天気の子」の感想や考察を書いていきます。 天気の子の基本情報• 監督・原作・脚本:新海誠• 製作:市川南・川口典孝• 企画・プロデュース:川村元気• 音楽:RADWIMPS• 主題歌:RADWIMPS・三浦透子• 製作年:2019年• 製作国:日本• 配給:東宝• 上映時間:114分 2016年に異例のヒットを記録した「君の名は。 」の新海誠監督の3年ぶりとなるアニメーション映画新作。 今作も君の名は。 に引き続きRADWIMPSとタッグを組み、PV然とした演出が繰り広げられる! 天気の子のあらすじ 高校1年生の夏、帆高は離島から逃げ出して東京に行くが、暮らしに困ってうさんくさいオカルト雑誌のライターの仕事を見つける。 雨が降り続くある日、帆高は弟と二人で生活している陽菜という不思議な能力を持つ少女と出会う 出典: 「自惚れるな。 お前たちが世界の形を変えたなんて思い上がるんじゃねぇ。 もともと世界は狂っている」。 「天気の子」という作品はこの言葉と帆高の行動に全てが詰まっていたと思います。 「世界はもともと狂っている」。 あの言葉を聞いた時にすごくスカッとした自分がいました。 この言葉を聞いた時に天気の子という作品が伝えたかったことは 「もっと自分勝手に生きればええんやで」ということだったんだなぁと確信しました。 この点にいい意味で新海誠さんの開き直りを感じたんですよね。 筆者が君の名は。 を鑑賞した後に感じた印象は率直に言うと「溢れ出る童貞感」で。 さらに嫌味ったらしい言い方をすると「陰キャラが全力で男女のキラキラした物語を作った結果」が君の名は。 みたいな。 こういった理由で、めちゃくちゃ失礼なのは承知で新海さんはわりと陰キャ寄りの人だと推し量っていました。 全くもって身も蓋もない、カラッとした快晴の青空のようなメッセージ。 「世界は狂っている」という言葉を聞いたとき「新海さんがこんなことを言わせるとは…!」と衝撃を受けました。 改めてクライマックスシーンをを振り返ると、主人公の帆高はヒロインの陽菜を救うために世界の崩壊を選びました(これ自体がミスリードの可能性もあり、それも巧い)。 崩壊した世界を目の当たりにした帆高は自身の選択に少なからず後悔の念を感じている。 その帆高に向かって圭介が言うわけですね。 「世界はもともと狂っている」と。 しかし、陽菜と再開できた時に彼が紡いだ言葉は「大丈夫だ!」でした。 大丈夫なんですよ。 自分にとっての大丈夫を探して、生きていればそれでいいんです。 世界の変化を受け入れて、その中で毅然と、自由に好きに生きていけばそれでいい。 息苦しさは自分で壊せる。 天気の子は今に息苦しさを感じる現代人への、彼なりの応援歌でした。 君の名は。 と似ているようで異なる構図 物語の大筋だけみたらもうほとんど君の名は。 と同じなんですよねこれ。 セカイ系というやつですね。 それでも天気の子と君の名は。 は決定的に違うポイントがあって、個人的にはそれも好印象でした。 というのも天気の子はどこまでも主人公の自分本位に物語が進んでいくんですよね。 自ら選択して、答えを掴み取っていく。 主人公がヒロインを取り戻すために、そのために全てを投げ出して突き進んでいく。 その選択がたとえ世界のバランスを壊すものだったとしても。 一方で君の名は。 は世界を救う物語だった。 世界を救うために奔走した。 愛を犠牲にしても。 天気の子はどこまでも自己中心的で青くて、「なんだこのクソガキは」みたいに感じる人もいたかもしれません。 筆者もあの言葉がなければそう思っていたかもしれない。 でもあの言葉が拓いてくれた。 君の名は。 は偶然に身を任せてその中での最適解を選びにいったけど、天気の子は自ら選び取りに行ったのがよかったですね。 「世界はもともと狂っていた」。 だから自分勝手にやればいい。 どうしようもないくらい身も蓋もなくて、でも核心を突いていた言葉だと思う。 これまでセカイ系のプロットで主流だったのは「セカイもあなたもどちらも救う」でしたが、天気の子はその流れをぶった切り、この上なく現代に適ったアンサーを出してきたように感じました。 RADWIMPSとのコラボは無理やり入れなくていいでしょ感しかないけど、主題歌はよかった RADWIMPSと新たに加わった女性Voの挿入歌は「タイミングそこ!?」みたいなところが多くて失笑だったけど、主題歌の「愛にできることはなにかあるかい」だけはすごく良かった。 「愛が語られ尽くしたこの世界で何ができるのか」。 今まで恋愛をテーマにした作品を作ってきた人間が主題歌でそれを語らせる。 並々ならぬ思いがあったと思います。 それでも「まだできることはある」という表明がかっこよかった。 他の曲の記憶はまったくありません。 なんか多かったのは覚えている。 とはいえ薄ら寒い演出は健在だしきつい部分はある それでもやっぱり全体的なトーンは苦手。 女性性を意識させる演出は気持ち悪いし、歌とともに生活を早回しで描いていくのは「それわざわざ映画でやることか」と思うし、説明口調が多いくせに重要な点についてはそこまで触れないところとか……。 どこか違和感があるんですけどこれはもう相性ですね多分。 仕方ない。 そんでもってなんやかんやで恋愛を神格化しているような感じは否めず。 今どき「どこ見てんのよ!」とかやる?「陽菜さんを見ていた」という言葉とリンクさせたかったのだろうけどそれにしても寒い。 全体の情景とか花火のアニメーションはすごく綺麗でそれはすごい。 素直にすごい。 新宿で見れば鑑賞後にすぐに聖地巡礼できるコスパも最高。 天気の子の考察・疑問点・君の名は。 との関係 天気の子の考察と疑問点など。 異常気象は本当に陽菜のせいだったのか 天気の子においてとても重要な論点がこれだと思っていて。 筆者は「どちらとも言えない」という解釈に落ち着きました。 100%彼女のせいにすることはできないって感じです。 意図的にそうしていると思う。 「そもそも現状が本当に異常気象なのか」• 「元々海だった東京を天気が元に戻そうとしている」• 「もともと世界は狂っている」 こういった言葉をもって、割と周到に彼女一人が原因ではないという理由が用意されているんですよね。 だからこそ好きに生きればいいというメッセージにもつながってくる。 ここらへんの話の組み立て方はすごくうまいなと思いました。 完全に推測だけども、今作は「もっと自由に好き勝手に生きてください」という伝えたいメッセージから逆算した結果、天気をテーマに選んだのでは?とも思っています。 良くも悪くも天気ほど我々の身近にあって、かつ不確実でご都合でなんとでも語れるお題はないから。 君の名は。 のキャラが割と主張してきた件 出ても瀧か三葉がチラッと出てくる程度だと思っていたんだけど、割とガッツリめにでてきて笑った。 以下登場シーンです。 瀧くんの登場シーン:お天気ビジネスのクライアント 天気ビジネスのクライアントとして登場。 三葉の祖母の立花富実の孫として登場します。 帆高と仲良くよろしくやっていてスイカまで出してくれました。 出演長かったです。 三葉の登場シーン:ルミネ新宿の店員 瀧くんと終わりかと思いきや、三葉も登場。 帆高が陽菜へのプレゼントを購入する時のルミネの店員役で登場しました。 帆高の「これ、喜んでくれますかね」という脳みそ空っぽの質問に対し、「喜んでくれるよ。 あんなに悩んで頑張って選んだんだから」。 と優しすぎる回答を返していました。 名札に「MITSUHA」と書いてありましたね。 話ずれるけど帆高くんはバカのひとつ覚えでYahoo知恵袋を使い続けるの何なの?馬鹿なの? 大人の都合ですかわかりました。 テッシーとサヤちんも登場していたらしいが見つけられず エンドロールで成田凌らの名前があったのでテッシーたちも登場していたっぽいですが、筆者は見つけられず。 見かけた方はラッキー! 花澤香菜さんはほぼ本名で登場 君の名は。 のキャラではありませんが。。 新海誠さんが大好きで毎作声優として出演している花澤香菜さん。 天気の子ではほぼ本名で出演していて草でした。 今作はイケメン弟に恋する園児の役でした。 ちなみに「君の名は。 」は で観られるので見返したくなった方はぜひ登録してみてね。 U-NEXTは 解約も簡単(3分くらいで完了します)なので「無料トライアル期間だけ使いたい」という方も気軽に使えますよ。 ファフロッキーズはなんだったのか:「その場にあるはずのないもの」が空から降ってくる現象 完全にウィキペディアからの引用ですが。 途中、水の形状をした魚が度々現れて、ファフロッキーズ現象という単語がでていましたが、あれは「その場にあるはずのないもの」が空から降ってくる現象のことを指すみたいです。 ファフロツキーズは、その場にあるはずのないものが無数に降り注ぐ現象を指す用語である。 飛行機からの散布や竜巻による飛来など原因が判明しているものを除き、「なぜ降ってきたのか分からない」ものを指す 出典: Wikipediaのページで「シンガポールで魚の雨が降った光景」が描かれた絵が掲載されていました。 帆高はなぜ家出していたのか 閉鎖感を感じたのはわかった。 でももう家族間の関係とかも少し掘り下げてほしかったなぁ……と思いました。 君の名は。 もそうだったけど、全体的にバックグラウンドの説明が弱いよね。 帆高の顔の傷の意味 陽菜を取り戻そうと電車の車線を激走する帆高くんの顔の傷の位置が上京してくる時に絆創膏を貼っている位置と同じだったのはなにか意味があったのかしら(わからない)。 それにしてもすごいスタミナだった。 帆高が読んでいた本:なぜキャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑でつかまえて)なのか 明らかに意識して「ほらここ!帆高が読んでいるのはキャッチャー・イン・ザ・ライだよ!!」とこれみよがしにアピールしてきてたけど、意味はわかりませんでした。 この本です。 割と有名なやつですよね。 副題(英題)のダブルミーニングは見事 今作の副題は「Wheathering with you」。 直感で「天気やな」と理解できますが、 weatherの意味を調べてみると巧妙なダブルミーニングが仕込まれていることがわかります。 というのもweatherは名詞では天気という意味ですが、動詞の意味にすると• 〈…を〉風雨にあてる,外気にさらす; 干す. 〈あらし・困難などを〉切り抜ける,しのぐ. 出典: という意味もあるんですね。 この中の2「(困難などを)切り抜ける」という意味が天気の子の物語にもバッチリはまると思いませんか? 困難を切り抜けて、陽菜を救い、そして変わってしまった世界を受け入れて陽菜と生きていくことを選択する(with you)。 weatherという言葉に動詞的用法があったのも驚きでしたが、まさかこんなダブルミーニングが仕込まれているとは。 これはオサレと言わざるを得ません。 上手い。 続いてサブタイトルとなった「Weathering With You」について、新海は「『Weather』という気象を表す言葉を使いたくて。 これには嵐とか風雪とか、何か困難を乗り越えるという意味も含まれるんです。 映画は何か大きなものを乗り越える物語でもあるので付けました」と語った。 出典: こちらの記事で監督自ら言及されてました。 が苦手な筆者でも楽しめた 「君の名は」。 と比べてんばかりでしたが、いい意味で前作から吹っ切れているように感じて好感がもてました。 いわゆる「世界かあなたかどちらを取るか」的な物語はたくさんありますが、 世界を犠牲にするという選択をとった時点で珍しいし、その上で「世界はすでに狂っているのであなたの選択がおかしいわけではない」。 だから自らの意志で選べばいいというアプローチで選択を正当化するのはとても現代社会に適っていると思いました。 なにを信じて、なにを選べばいいのかわからないこの時代で、自ら選択して選び取っていく。 それはとても難しいこと。 迷ったらこうやって考えればいい。 「世界はもともと狂っている」。 天気の子は新海誠監督からの、迷える我々へのエールでした。 今作では家出の理由や陽菜の家庭状況等、描写不足過ぎる部分が数え切れぬほど存在しています。 もちろん主人公(社会を知らぬ子)と須賀(社会を知り、常識に囚われた者)との対比なり、伝えようとしていることはしっかりと存在してはいました。 ただ矛盾や突っ込みどころ、また物語の緩急に描写の丁寧さを見れば『君の名は』の方がはるかに出来はよく、完成しているというのが実際の所です。 あなた様の書かれた全文を読まして頂いたところ、矛盾点や描写不足等には気づいているものの評価は今作が上となっており、また評価している点の理由が余りにも自己による感情からです。 それらを踏まえ、あなた様は物語やテーマを見ようとしているのではなく、単純に自身にかけて貰いたい言葉や、自身の現状を肯定するようなモノを見たいだけに思えました。 君の名は。 も天気の子もどっちも好きな立場(わずかに天気の子)で言わせてもらうと、君の名は。 の方が矛盾や突っ込みどころは多かったですよ。 そもそも新海監督に緻密な世界観を求めるところがナンセンスだと思っていて、そう言った矛盾や突っ込みどころが些末に見えるくらいの演出力が新海監督のウリだと思っています。 天気の子で言えば、最後のシーン。 元に戻っただけ、最初から狂ってる、そんな言い訳で観客を納得させようとしてるのかと思いきや、全部ぶん投げて「全部自分で選んだんだ!」と主人公とヒロインに責任を背負わせた演出は神懸かってますね。 ブログ主さんの言う通り、自分たちで選んだからこそ心揺さぶられるものがあるのだなと。 なんで自分が天気の子の方が面白いと思ったのかこのブログを読んでわかった気がします。 そうなんでしょうか……。 かなり決定的な部分でズレてるんじゃないかなって思っちゃいました。 私の解釈は違います。 帆高は東京水没後、すぐに田舎に戻っています。 ですから東京の惨状と陽菜が(おそらく毎日)祈っている光景を目の当たりにしたわけではないのでしょう。 だから、確信が持てなかった。 「世界はもともと狂ってる」 その言葉に引き寄せられてしまうほどに、自らの選択が一体どういうことなのか理解していなかった。 ラストシーンで、帆高は「そうなのかな……世界がもともと狂っていたのかな……」と思いつつ歩いていきます。 ですが、ついに水没した東京を前に祈っていた陽菜を目の当たりにして彼は確かこう言ったと思います。 「違う! あの日、僕たちは世界を変えたんだ。 僕は選んだんだ! あの人を! この世界を! ここで生きて行くことを!」 世界がもともと狂っていたんじゃなくて、僕たちが選んだ。 この破壊を。 この結末を。 それを一人で背負わせた。 何よりも最愛な彼女に。 だから今度は僕も背負いたい。 大丈夫だと言いたい。 これがラストシーンの彼の気持ちだと思います。 ここで、Radの『大丈夫』の歌詞が活きてくるのだと思います。 「世界が君の小さな肩に乗っているのが僕にだけは見えて泣き出しそうでいると、大丈夫?ってさ、君が言うからさ、大丈夫って僕は慌てて言うけど、なんでそんなこと言うんだよ。 崩れそうなのは君なのに」 「君の大丈夫になりたい」 世界を決定的に変えてしまった。 それを二人で背負って生きていこう。 Weatheringとはきっとこういうことなのだろうと。 「世界はもともと狂っていた」なんて大人の飲み会での愚痴みたいなこと、彼は受け入れません。 そういう老婆心を蹴飛ばすところに、若者の感性があるんだと思います。 正直帆高の東京を水没させたことに対する鈍感さには少し思うところがあるのですが、それでも『世界の調和をたとえ乱して、世界中から背を向けられても、それでも二人で生きていこう』とい帆高の決意には、胸を動かされました。

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